eラーニングの時代

ゴルフがeラーニングで学べるなんて夢にも思わなかった。40年前、ゴルフ教室を始めようと思って芝ゴルフ教室や陳清波モダンゴルフ教室を訪ねた頃、ゴルフに基本も教則本もないと言われてびっくり仰天したのがウソのようだ。誰に聞いても「ゴルフが巧くなりたければダンプ一杯ボールを打て」と言われ、「尾崎も野球からゴルフに転向しようと毎日1000球のボールを打っている」とも言われた。「習うより慣れろ」「教わるより盗め」「体で覚えろ」と、訊ねたプロ全員が口をそろえて言う。さらに「巧くなる秘訣なんかない」とも言い、「もしあったらオレはこんな所でレッスンなんかしてない」とも断言した。その言葉には妙な迫力があった。これらの言葉を裏付けるようにPGAレッスン部長の森田吉平プロは、「素振り10万回」を提唱して富士に森田道場を開いていた。

 

だが待てよ。ひょっとすると今でもゴルフはそうやって巧くなるものだと思っている人が意外に多いかもしれない。それが証拠に「飛球法則」「スイング原則」「生体原理」「スイングメカニズム」など基本の話を始めると、キャリアがある人ほどびっくりするより「ゴルフは理屈じゃない」という顔をするのだ。追い討ちをかけて「もう一度基本からやり直してみませんか」というと、「いまさら」といって手を横に振る。そういう人に限ってリヤカー一杯ほどもゴルフの雑誌や本を読んでいる。今さらという言葉の裏には「ゴルフなんて、いくら習ったり本を読んても巧くならない」という確信が満ち溢れているからだろう。さらに追い討ちをかけて「あなたのゴルフは所詮ザル碁かヘボ将棋なんでしょ?」というと、「なにをコノ野郎!」という顔をしてやっと真顔になってくれる。

 

実はゴルフ王国アメリカでも、40年前には同じようなことを言い合っていた。既にベン・ホーガン『Five Lessons』などの名著が出版されていたものの、いくらベン・ホーガンのスイングを詳しく解説されても、所詮ホーガンの真似などできる訳がない。その証拠にホーガン二世もホーガン再来も聞いたことがない。名手やプロのスイングを真似するのではなく、スイング原則に従ってマイスイングを形成しスクウェアシステムから9種弾道を自在に打ち分けたり、技術の基本パターンを修得する学習法開発は、40年前にNGFの手によって進められていた。学校授業にゴルフを導入するためには、学習能力や身体能力に係わりなく、誰もがSimple & Easyに習得できるものでなければならなかったのだ。

 

米国豪州カナダのプロや上級者達は、申し合わせたように基本が大切だという。
それは彼ら自身が基本を学ぶことによって、最短距離で現在の技量に到達したことが解っているからに違いない。その基本は言葉で伝わり文字で理解し視覚で納得できるものでなければならない。eラーニングとは三次元(3D)で学べることだから、それが好きな時に好きな所で手元のタブレットやスマートフォンで学べるのだから、まさに夢が現実になったということだ。

 

全英オープンの教訓

実力者フィル・ミケルソンの優勝で終わった「2013全英オープン」は、今年もまた数々の教訓を残してくれた。日本から8人出場して決勝進出は二人。その一人がプロ転向3ヶ月の大物ルーキー松山英樹で、タイガー・ウッズと同じ6位入賞である。予選二日間は米英を代表するフィル・ミケルソン(米)、ルーク・ドナルド(英)と世界のトッププレーヤーとプレーしながら、全く臆することなく堂々と予選通過したのだから見事というほかない。ちなみにドナルドは予選落ちした。

 

松山英樹は幸運だ。プロデビューの舞台は最古の伝統クラブミュアフィールド、共演の役者は英国を代表するルーク・ドナルドと、米国を代表するフィル・ミケルソン。初日二日目と同じ組でプレーしたのだから、それだけでも世界の注目を浴びるのに、そのうえ世界一のタイガー・ウッズと肩を並べる6位入賞だから、日本のゴルフ史に名を残す快挙といわなければならない。だからといってお祭り騒ぎをするのはまだ早い。この程度でお祭り騒ぎをするようでは、日本はいつまでたってもゴルフ三流国に終わるからからだ。優勝したミケルソンだって20年挑戦し続けてやっと勝利を掴み、キャディや家族と肩を抱き合って泣いた。

 

日本では、いままでどれだけ多くの有望な若者を「ほめ殺し」してきたか分からない。日本を世界地図で見れば一目瞭然、極東の小さな島国なのだ。日本一だからといって世界に出れば小さな存在に過ぎない。日本一だ!世界だ!金メダルだ!と騒がれて、万歳三唱で送り出された若者が落武者のようにひっそりと帰国する姿をどれほど見たことか。本来なら敗れて戻ってきた者こそ暖かく迎え入れ、激励してやるのが親心であり大人の姿のはずだが。いつまでたっても「一将功なり万骨枯る」では多くの有能な若者が次々と枯れていく。

 

今年の全英オープンには8人の日本人プロが挑戦しているが、多くの人がその事実すら知らないかもしれない。ひょっとしたら松山英樹一人が出場したと思っているかもしれない。眠い目をこすってテレビを見ていた私ですら、とうとう予選落ちした6人の姿が放映されるのを観ることができなかった。どんな思いで全英オープンに臨み、どんな思いで帰国したか考えると気になって仕方がない。彼らがプロである以上、安易な慰めは無用だ。臥薪嘗胆。その無念を明日の活力にしてこそプロなのだから。松山英樹は6位入賞は忘れてもいいから、R&A競技委員からスロープレーのペナルティーを喰らった悔しさは生涯忘れてはならない。日本から来た若者にガツンと拳骨を食らわせたR&Aも強かなら、「糞ったれ!」と言わんばかりの顔つきで最終日に巻き返した松山も強かだ。誉め言葉なんか忘れてその悔しさだけが心に残っていれば、必ず将来は世界を背負うプロに成長するだろう。

 

強かった韓国女子プロ

全米女子オープンゴルフで韓国女性が驚異的なスコアで上位を独占した。優勝者のパクインビは大会三連覇という歴史的偉業まで成し遂げた。韓国女子プロの強さはもはや誰も否定することができないばかりか、世界最強国といって差し支えない。何がそうさせたのか、なぜそうなったのか興味は尽きないが、今のところ私には何も分からない。ただ唖然とするばかりだ。26名が出場して14名が決勝に進出し上位3位を独占している。さらに驚いたことにその3名は全員アンダーパーだった。韓国選手以外は誰もアンダーパーで回れなかったのである。USオープンはUSGAと世界のトッププレーヤーとの真剣勝負であることを考えれば、8アンダーで優勝したことはUSGAが韓国女子プロに大敗したことを意味する。

 

たびたび書いているように1970年代からUSGAはストロークプレー概念の大改革を行い、全てのプレーヤーとコースの真剣勝負を可能にする条件や基準を定めてきた。プレーヤーにはハンディキャップ・インデックスという技量偏差値を、コースにはコースレートとスロープレートという難度偏差値を定めた。そのうえでコース側は挑戦してくるプレーヤーの技量偏差値に対応して、難度偏差値が変えられるようコース設定の条件をポイント化したのである。会場となったニューヨークのサボナックゴルフクラブは、ジャック・ニクラウスとトム・ドークが共同設計した難コースといわれている。ニクラスは難コースを造ることで有名だし、トム・ドークは難コース造りで有名なピート・ダイの弟子だそうだから、聞いただけでウンザリするコースだ。

 

USGAはコース設定に際してアメリカ、イギリス、スウェーデンあたりのトッププレーヤーたちのハンディキャップインデックスを基準にしたに違いない。その証拠に上位三名の韓国選手以外は誰もアンダーパーで回れなかった。韓国プロの技量を過小評価していたのだろう。そもそもUSGAハンディキャップシステムそのものが伝統的に女性に対して優しいから、韓国女性の強さがグローバルスタンダードを超えているのかもしれない。アメリカ女性の強さは音に聞こえているが、韓国女性はそれより遥かに強かった。韓国女性に大敗を喫したUSGAは、レディスの定義を変えなければならない。

 

ゴルフはもともと老若男女誰とでも一緒にプレーできることが特徴だから、男女別々に競技していることが時代遅れなのかもしれない。ティーインググランドの位置を変えるだけで条件は互角になるから、一度やってみればいいのに。そうだ。後発のアジア太平洋ゴルフツアーは、男女混合試合にすれば大和ナデシコたちが欧米の大男たちをヒネル姿が観れるかも知れない。USGAコースマニュアルでは、ロングヒッターに厳しくコース設定することだってお茶の子サイサイなのだから。

 

進化した世界のゴルフ

今年のUSオープン中継の解説を丸山茂樹が担当した。解説を聞いていて「さすが!」と思ったことがいくつかある。何年もアメリカツアーに参戦し散々苦杯をなめてきたからこそ言えることをいくつか口にしていた。そのひとつがUSGAのコースセッティング能力の高さを熟知している点である。「全米オープン」は米国のコースを舞台に、世界のトップアマ及びトッププロが世界一を競うトーナメントである。競技方式は72ホールストロークプレーだから、言ってみれば世界のトッププレーヤーは、USGAが設定した難コースに力の限りを尽くして挑戦する構図になっている。

 

USGAは30年以上前からストロークプレーの大改革を行った。マッチプレーが人対人の真剣勝負であるのに対して、ストロークプレーは人対コースの真剣勝負という概念を明確にした。そのためにUSGAはハンディキャップ査定やコース難度査定に徹底した改革を施し、どんなレベルのプレーヤーとコースとでも互角勝負ができるシステムを考案したのである。だから世界のトッププレーヤーを迎え撃ったとしても、やたらにアンダーパーを出されてはコースがボロ負けしたことになるから、USGAの運営委員とコースのヘッドプロ及びグリーンキーパーは、世界のトッププレーヤーたちが死力を尽くして攻めてきても、絶対に負けないためのコース設定を必死に考える。四日間通してイーブンパーで優勝すればプレーヤーとコースは完全に互角勝負をしたことになる。コース側は1年以上前からコースやグリーンの改造を行ったり、フェアウェイデザインを変えたり、コースコンディションを整えて試合の日に備えている。

 

今年はジャスティン・ローズ(英国)とフィル・ミケルソン(米国)の一騎打ちとなり、ミケルソン最終ホール第3打でローズの優勝が確定した。優勝スコア1オーバーパーだからコースが1打勝ったことになる。出場選手全員がオーバーパーで予選通過者の最下位は27オーバーだから、みんなヘトヘトだったろう。丸山茂樹は解説の中で「僕としてはアンダーパーで優勝して欲しい」と言ったが、永年アメリカツアーに挑戦してきた者としては、当然プレーヤーに勝って欲しかったに違いない。USGAが名誉と誇りにかけて厳しいコース設定してくることを、骨身にしみて分かっている丸山にして初めて語れる言葉だろう。ワンアンダーならプレーヤー側の勝ち、イーブンなら引き分け、ワンオーバーだったからコース側の勝ちということだ。プレーヤーの立場からすれば、コース(USGA)に負けることが悔しかったのだろう。世界のゴルフがそこまで進化していることを丸山茂樹は知っていたのだ。

 

用具の進化と国際標準

(社)日本野球機構がボールの問題で揺れている。野球機構が定めた公式ボールが事務局長の極秘命令で基準以上に飛ぶように造られていたという。命令されてボールを製造したメーカーは「ミズノ」だそうだが、スポーツ団体の元締めは全て文部省であり、その文部省とミズノの関係は古い。戦前戦後を通じ文部省が掲げた国民体位の向上と学校体育の振興に「美津濃」は献身的に協力してきたといわれている。全てのはじまりは昭和15年、世界大戦に突入するための準備として「国家総動員法」を定め、戦争に供する資源をことごとく政府の統制下に収めて管理したことにあった。世界を相手に戦争するには「物資」だけでなく「国民」が最重要資源であるから、文部省管轄のもとにある学校体育を軍事教練化して、青少年を徹底的に鍛え上げて世界最強の兵士を養成した。戦後は国民スポーツの振興に名を変えて今日までその体制が続いている。安倍首相が叫ぶ「アンシャンレジーム(旧体制)の打破」とはこの体制打破のことであり、「構造改革」とは政官業癒着構造の改革のことを指している。「日本相撲協会」「日本柔道連盟」「日本野球機構」ついでに「検定教科書」「靖国神社」も文部省管轄下にある。「日本ゴルフ協会」「日本プロゴルフ協会」も文部省管轄下にあることも忘れてはならない。

 

ゴルフが文部省の管轄下に入ったのはそれほど古い話ではない。日本プロゴルフ協会が1983年、日本(アマチュア)ゴルフ協会が1987年だから30年ほど前の話である。ともに文部省公益法人「国民体育協会」の傘下にあって、プロ協会はプロ競技開催権と指導資格認定権を、アマチュア協会はアマチュア競技開催権とハンディキャップ認定権という利権を支配している。「それがどうした」といわれると二の句が告げないが、言いたいことは「国民の国民による国民のためのスポーツになるとい~な」ということ。ゴルフルール、ハンディキャップ、ボール他用具は「全米ゴルフ協会」と「英国R&A」が統一基準を定めて管理しているから文部省は手も足も出ないが、野球もゴルフも用具でボールを飛ばすゲームだから、ボールに関する国際基準は厳しい。かつてゴルフボールは米国と英国では大きさが違っていた。日本では英国のスモールボールを使っていたから、米国のラージボールを使うと重くて飛ばないうえ、歯を食いしばって叩くと大きく曲がる「やっかいもの」だった。やがてラージボールに国際基準が統一されゴルフの技術もボールの製造技術も飛躍的に向上したといわれている。今ではボールが飛び過ぎて、ゲーム性においても安全性においても実に困った問題になっている。やがて国際基準が変わるのではないか。

 

一方米国ではボールの価格は昔から1個2ドルが相場だったから、円安の時代には実に高価な貴重品だった。ニューボール1個の値段は一日のバイト代に匹敵したから、ロストボールをボロボロになるまで使っていたものだが、あるときボールの切り傷にマジックインキで印をつけたところ、43箇所に手傷を負っていたので「斬られの与三郎」と名付けたことがあった。ところが不思議なことに1ドル360円の時代から90円の時代になっても、国内価格はずっと1個800円が続いたのは一体何だったのか。為替相場からいえば当然一個200円でなくてはならないが、安売り量販店に行かないとその値段では買えない。是非ともTPPの議案に乗せて欲しいものだが、ついでにボールだけでなくクラブやプレー代も国際標準になるよう話し合って頂けませんかねぇ。

 

ゴルフTPP

TPPの是非をめぐって世の中が騒がしい。TPPはグローバル時代に先駆けて環太平洋地域を自由貿易圏にして、戦略的同盟条約を結ぼうということらしいが「そんなことされたら先祖代々、段々畑や裏の田んぼで細々と百姓している爺さん婆さんをどうしてくれる」と言われるし、「先のない零細農家を継ぐくらいなら若いうちに開拓民として日本を飛び出した方がましだ」とも言われる。私も含めて世の中の人はそれが自分にとって損か得かで是非を論じるのが普通で、反対派は既得権が侵害される人だし賛成派は新天地を求めている人だ。爪楊枝をくわえてニヤニヤしている人は「俺にゃ関係ねェ」と思っている人に決まってるし、「TPPって何?」っていう人も結構多い 。

 

幕末の世の中も開国か攘夷をめぐって騒がしかったと歴史の本に書いてある。賛成派と反対派は京の河原で斬りあうし、新島襄みたいに日本脱出に成功する人、吉田松陰みたいに脱出に失敗して命を落とす人さまざまだ。「関係ねぇ」と思っている人は雨戸を閉めてひっそりと息を殺していたんだろう。騒ぎが段々大きくなると権力争いに発展し戦争になる。はじめ圧倒的に優勢だった幕府軍は長州軍を蹴散らしていたが、やがて近代兵器で武装した薩長土連合軍の前に降参し、権力の座を明け渡してしまった。自分の立場で賛成しようが反対しようが、歴史回転のエネルギーの前に個人の力はどうすることもできない。
だったら雨戸を閉めて座布団かぶってないで、高いところから世の中どう変わっていくか観察するほうが賢い。

 

老いぼれたはずの井戸木鴻樹が全米シニアプロ選手権優勝という快挙を成し遂げた。日本国内にいてはウダツが上がらないと思ったか、新天地を求めて米国シニアツアーに挑戦し見事な結果を残した。160センチ級の井戸木は「小さな体でも通用することが分かってもらえれば幸せ」と謙虚に語ったというが、サムライの器量は体の大きさではなく魂や肝っ玉の大きさで決まる。だからゴルフの世界でもTPPの時代に打って出る覚悟がないと先細りになることは目に見えている。米国ツアーと欧州ツアーは盛況だが、アジアツアーが振るわないのは日本ツアーの小心翼々とした姿勢と肝っ玉のなさに原因がある。TPPに相乗りして環太平洋ツアー機構に拡大し、アジア新興勢力を巻き込んで米国ツアーや欧州ツアーと勝負したらいいのに。

 

私たち無責任な爪楊枝組は、ネット中継やBS放送で米国ツアーや欧州ツアーを観戦しているから、日本ツアーが物足りなくて仕方がない。米国や欧州の強豪とアジア日本のプロが、環太平洋ツアーで真剣勝負する姿をライブ中継で観れる時代がやってきたと思うとワクワクするが、残念ながらゴルフ界のTPP反対派を斬ってしまわないと、それは実現しない。「ワタシはもう70過ぎたから急いでくれない?」と今は爪楊枝くわえてつぶやいているが、早くしないと「オレの葬儀を先にネット中継しちまうぞ!」と凄みたくもなる。

 

大物ルーキー

大物ルーキーと言われる松山英樹が、プロ転向して早くも大物振りを発揮しているが、同じ歳の石川遼が米国ツアーで悪戦苦闘している姿と対照的だ。しかし石川遼もデビューした時には大物ぶりを発揮して世間をアッと言わせたものだが、その石川遼が世界に出て苦しむさまに、世界の壁の厚さを知って私たちの方が驚いている。ならば世界の壁はそんなに厚く、日本のゴルフ技術はそんなにレベルが低いのかと思いがちだが、私は断じてそんなことはないと信じる。
ゴルフは登山、スキー、マラソンなどと同じように気象条件や自然環境に対応しなければならないスポーツだから、環境が変われば技術だけでは勝てない。
そのうえゴルフは自然環境だけでなく、社会環境にも対応しなければならない厳しい側面を持っている。石川遼は日本PGAの閉鎖的封建社会の殻を破って頭角を現し、米国に渡って新たな社会環境に挑戦している。自由平等を国家理念とするアメリカ合衆国にあっても、白人プロテスタントが支配する米国PGAという社会環境は宗教色の強い差別社会でもある。かつてリー・トレビーノ、チチ・ロドリゲス、ロベルト・デビセンゾが、いまはビジェイ・シン、タイガー・ウッズ、アンヘル・カブレラらが目に見えない宗教や人種の壁と闘っていて、石川遼もそのひとりで、置かれた立場を思うとやはり「頑張れ!」と叫びたくなる。

 

慣れない自然環境に飛び込んだとき人の体は異常な反応を示すが、慣れない社会環境に飛び込んだときは、むしろ体より心の方が異常な反応を示してしまう。そのうえ人の体と心は微妙に連動しているので、異常反応が連鎖を起こして自分自身でもコントロール不能の状態に陥ってしまう。かつて多くの若者をアメリカゴルフ留学に送り出したが、SOSの連絡を受けて何度も救出に行った経験がある。「朝になると足が動かなくなって一歩も歩けない」とか「英語が分からないから買い物にも行けない」といって閉じこもっている。もっと進むと「もう日本には帰れないから自殺したい」と訴える。このような社会環境に対する反応は、その社会に順応するか無視しなければ耐えられない。有色人種が白人社会で生きるのも、無信仰者が異教徒社会で生きるのも、社会環境の違いは私たちが生きるうえで実に大きな壁だ。地方人が東京に来ても、東京人が地方に行っても、それぞれの社会環境の違いは大きな壁になる。その壁を乗り越えた人だけが異なる社会環境で生きていくことができるし活躍することもできる。ガラパゴス島といわれる日本もどんどんグローバル化して、いろいろな人種、国籍、宗教の異なる人々が住みはじめた。観察すると外国からガラパゴス島に来た人には住み心地が良い環境のようだが、ガラパゴス島から外国に行くとどうにも住み心地が悪いようだ。ガラパゴス島の住人は異質な社会環境に住めなくなってしまったようだが、世界で活躍しようとするなら、ガラパゴス島を飛び出してどんな社会環境にも順応できる体質を作らなくては駄目だ。実際に野球やサッカー、技術者や芸術家は、どんどんガラパゴス島を飛び出して活躍しているではないか。ただし、ガラパゴス島固有の甘ったれ精神は置いていかないと命取りになることだけは肝に銘じておかなければならない。代わりに世界に通用する武士道精神をまとって行くことを是非お勧めしたい。

 

2013マスターズ

今年のマスターズもすごかった。アダム・スコット(オーストラリア)とアンヘル・カブレラ(アルゼンチン)プレーオフでの一騎打ち、復活優勝を掛けたタイガー・ウッズ(アメリカ)の不運の一打。世界のヒノキ舞台で繰り広げられる壮大なドラマは地球の裏側で観ている者にも大きな感動を与える。鮮明な映像がライブで観られるなんてウソのような話だが、情報通信革命の時代に生きていることを強く再認識させられた。ところがマスターズの興奮が冷めやらぬうちにボストンマラソンの爆破事件がライブ中継されてびっくり仰天。激動する世界の出来事を自分事のように日々見ながら、それでいて自分自身のことや身近なことはサッパリ分からない自分の存在に気が付いて、またもやびっくり仰天。私たちはグローバル世界で生きている小さなアリンコのような存在かもしれない。

 

スコットはグレッグ・ノーマンが果たせなかったオーストラリア人初のマスターズ優勝に全霊を傾けていることがありありと分かった。それに対してカブレラは4年前にロベルト・ビセンゾが果たせなかったアルゼンチン人初のマスターズ優勝を勝ち取っている。勝負はカブレラの余裕にスコットの迫力が勝ったことを証明したようだ。ウッズの復活優勝は神様とボビー・ジョーンズが相談して「まだ早いよね」ということになったに違いない。ピンに当たって池に入った一打も直後に犯した誤処プレーも、どう考えたって《Act of God;神の御業》としか説明が付かない。ウッズはペナルティで4打を失ったが、優勝するには丁度その4打が不要だった。ゴルフの世界では、特にマスターズでは最終的に神の意思によって勝負が決まると考えられている。それはどんな無神論者といえども試合の流れやゲームひとつひとつを観察すれば、随所に各プレーヤーの意思や技術を超越した現象や結果を認めざるを得ないからである。

 

マスターズ優勝者を出した国はアメリカ・イギリスはもちろん、ドイツ・スペイン・カナダ・南アフリカ・アルゼンチン・フィジーがあるが、アジア豪州にはいなかった。アダム・スコットの優勝で残るはアジア・アラブだけになった。日本人に頑張って欲しいと思うのは多くの人の思いだが、ゴルフの歴史やマスターズの伝統をもう一度学び直さないと当分無理かもしれない。藤田寛之の言葉少ない敗戦の弁はそれを語っていた。「打ちのめされました。たくさんのお土産を持って帰れます」。疲労骨折によって1ヶ月前まで練習できなかった言い訳は一言も触れず、精一杯戦った爽やかな顔で語ってくれた。「疲労骨折?、あんた歳も考えずやりすぎなんだよ!」と思わず叫びたくなる結果だが、なすべきことをなし遂げた者にして初めて語れる言葉だ。スコットを最後まで追い詰めたカブレラは藤田と同じ43歳。藤田のお土産にはマスターズで戦う秘訣や知恵が一杯詰まっているはずだから、後輩たちはウンと分けてもらうといい。私だって冥土の土産に欲しいくらいだ。

 

国際化しない日本のゴルフ

文部大臣の指導資格認定証はゴルフ界にもある。日本プロゴルフ協会が発行するインストラクター資格には時の文部科学大臣の名前がデカデカと書いてあるから有難い免許皆伝に違いない。しかしゴルフは世界中で行われているスポーツだし、とっくの昔に国際化しているはずだから、今さら日本国文部大臣認定もなさそうだ。リオデジャネイロ・オリンピックから正式種目に採用されるから、いよいよグローバル化といえるが、その前提条件として世界統一基準や統一規則が採用されたことがあげられる。競技をつかさどる規則は米国USGAと英国R&Aによって世界統一されているし、コースの難度査定やプレーヤーの技量評価もUSGA基準によって世界統一されている。最も大切なプレーヤーの養成や育成は独自の創意工夫や研究努力,それをサポートするコーチの能力に委ねられている。欧米諸国は勿論、中国や北朝鮮でもゴルフコーチの国家認定制度や行政保護政策などないが、日本では文部省が競技団体や指導者団体を行政管理下に治め、保護規制によって自由活動を制限している。「文部省公認団体は外国技術ノウハウの導入を禁止する」「文部省の認めない団体に加担協力したものはプロ資格を剥奪する」「文部省の認めない機関の教育を受けたものは、アマチュア資格喪失の原因となる」等々。日本の社会構造は国際化された自由な世界と思われているスポーツ界ですら、実は行政の統制下にあって民間の事業活動が規制されたり制限されている。以前から「構造改革」や「規制緩和」が叫ばれているが、実態や現実を分かっている人は政治家やマスコミも含めて極めて少ない。相撲協会や柔道連盟と同じようにゴルフ団体の構造や規制についても、実態が分かっている人は殆どいない。

 

TPP交渉参加の意味は、幕末に欧米列強から通商条約の批准を求められたのに良く似ている。日本に住んでいると日本は何でもできる自由な国に思えるが、実は規制や制約が多くあって、新しいことや革新的なことは何も出来ないガラパゴス島であることに気がついていない。「井の中のカワズ、大海を知らず」という諺があるが、日本ガラパゴス島に住む日本人には世界の実態が分からない。「知らぬが仏」という諺もあるが、知らないことによってかえって平和でいられることも多いから知ろうとしないのかもしれない。日本で土日祭日にゴルフをしようと思えば、近郊ならメンバーに頼んで高いビジター料金を払うか、近県なら高い高速道路料金と平日の五割増料金を払わなければならない。どっちが安くつくか考えさせられるが、欧米豪州カナダでは想像もできない実態なのである。土日祭日料金が高いことも、18ホールプレーするのに200ドル300ドルもかかることも、高速道路をたった2,3時間走って何千円もかかることも、娯楽施設利用税が掛かることも、子供料金がないことも、公営ゴルフ場も民営ゴルフ場も同じ料金体系であることも、全てガラパゴス島固有の実態なのである。外国でゴルフをした人や高速道路を走った経験がある人は多いはずだが、なぜこんなにも違うのか疑問に思う人が少ないのも不思議なことだ。ここは日本だからと簡単に割り切ってしまうようだが、日本と外国は違うのが当たり前と考えているのかもしれない。日本と外国では違っていて当たり前なことと、同じである方が当たり前のことを協議する場をTPPとするならば、一刻も早く参加した方が良いに決まっている。誰にとって良いかといえば国民や大衆にとってであり、ゴルフに関するならば一般大衆ゴルファーにとってである。決して特定業者、特定団体、特定議員、特定役人にとってではない。

 

国際化とグローバル化

2年ほど前に相撲協会の体質が問われて大騒動したが、今度は柔道連盟の体質が問われて大バトルが始まった。相撲も柔道も日本の伝統スポーツ文化としての歴史を持っている。今では横綱も優勝者も外国人力士が独占しているし、モンゴル出身の力士が圧倒的に強いのをみても国際化したことは明らかだ。それならモンゴル相撲と日本相撲が同じ格闘技かというと実際には大分違うし、欧州出身の力士はレスリングやサンボなど全く別の格闘技から転向しているようだ。だから相撲の場合には相撲が国際化したというより、力士が国際化したというほうが正しい。相撲興行は日本国内だけで開催されているから国際化したとはいえないが、ウランバートル場所とかモスクワ場所、パリ興行とかニューヨーク興行が開催されるようになれば本当に国際化したといえるだろう。

 

相撲に対して柔道は完全に国際化している。世界中いたるところに柔道場があり、世界各国に柔道協会があるうえ世界柔道連盟という国際組織まである。さらに世界統一ルールに従って世界選手権やオリンピック大会が開催されているから、国際化を超えてグローバル化したといってもよいのではないか。つまり同一基準に従って地球規模で行われているからグローバル化である。ところがどうも最近明らかになってきたことは、日本の柔道界の実態が古式豊かな伝統技芸の姿を残したまま存在していて、国際社会どころか現代社会そのものに受け入れがたい状態のようだ。これをガラパゴス化というが、密閉された閉鎖社会で行われている古き慣行は、その世界で常識であっても一般社会では非常識を超えて犯罪行為なのである。事情聴取を受けたり逮捕された関係者に全く責任意識がないところに更なる問題の深さが感じられるのだが。

 

実際に柔道の試合を見ていると、外国選手の闘い方は「エッこれ柔道?」と思うことが時々ある。柔道ってもっと堂々としたもの、礼儀正しいものという先入観があるから違和感を感じるのだが、私の錯覚なのだろうか。この度の騒動は指導員や指導現場から発生したものだが、彼らはみな日本柔道連盟と文部科学大臣が認定した指導資格認定証を掲げている。それでは外国で指導している指導員たちも日本の文部科学大臣の認定証を掲げているのだろうか。そんな話は聞いたことがないし、他にも不思議に思うことがある。鍼灸治療院や整体治療院には、日本柔道連盟と厚生労働大臣が認定した接骨治療師の認定証が掲げてある。接骨治療師が柔道を指導しているとも思えないし、レントゲンも手術室もない治療院で、交通事故や工事現場で起きた複雑骨折の治療ができるとも思えない。果たしてそれを日本柔道連盟や厚生労働大臣が認可して問題ないのだろうか。なにやらウサンクサイ気がする。大臣認定の資格認定証は他にもいっぱい存在するが大丈夫だろうか。TPPの交渉が今年から始まるようだが、国際化からグローバル化に進もうとする時代にあって、日本固有の構造や制度規制を大局的に見直すチャンスではないか。日本固有の伝統文化ならば是非とも守るべきだし、政界・官庁・業界団体の癒着から生まれた利権構造ならば一刻も早く構造改革して規制緩和し、外部の優れた技術や人材を受け入れた方がいいに決まってる。構造改革、規制緩和、TPP参加という言葉の意味はとても深いということを頭に入れておこう。