基本指導

「ゴルフに基本はない」。この一言は私の頭にこびりついて離れなかった。私は学生時代に「柔道」「剣道」「弓道」「合気道」「書道」など手習い程度の指導は受けていたが、いずれの道場でも師範から「守破離を大切に」といわれ続けた。
「守」とは基本を忠実に守ること。「破」とは基本を破ること。「離」とは基本を超越することと教えられた。「書道」ではまず楷書を習い、文字のカタチが整ってきたところで行書を習い、草書は当分先の話だとされた。案の定、70歳にして未だに草書は満足に書けない。基本を離れ「動けば即技」の境地に達するのは容易なことではないことは理解できた。

1970年代の日米三強といわれた六人のスイングが全く違うのは、それぞれみな基本を超越した「動けば即技」の境地に達した達人たちだったからに違いない。達人の域に達するには毎日朝から晩まで何年間もボールを打ち続け、試合という緊張場面で失敗を重ねながら挫折を乗り越えていかなければならない。もし本当に基本がないとすれば初心者はその達人の技から何を学ぶというのだろう。ところが驚いたことに、ゴルフをしたことがない子供は、実に巧みにトッププレーヤーのスイングを真似するではないか。ならばそのスイングでボールが打てるかというと、その子もやはり初心者の球しか打てない。米国の学校体育にゴルフが導入されたとき、まず最初に基本テキストや基本マニュアルが作られたことが実に良く理解できる。

「女性ゴルフ教室」の指導現場はどんな状況だったか。いわゆる主婦といわれる中高年女性が14人打席に並んで、全員7番貸クラブでボールを打っているが、中には最初からかなり強いスイングができる人もいる。おそらくテニスか何かスポーツを経験したに違いないが、ボールが打てないことには変わりない。中に全くスポーツ経験がない女性もいたが、クラブを振る姿はおしとやかで日本舞踊のお稽古に近かった。ゴルフスイングという体の動きそのものが全く分からないうえに、クラブを振り回す握力がない。しっかり振ってと激励されると、よろけて3階打席から転落しそうになる。プロはあわてて飛んでいって体を支え、跪いてグリップの握り方を丁寧に教えるが、グリップを教えるとますますスイングが怪しくなってよろける。「指導に当たって女性の体には絶対に触れてはならない」という私の厳命は全く意味を成さないものになってしまった。

それから数年後、米国NGFの指導マニュアルに「スイング動作を知らない初心者に最初からボールを打たせてはならない。最初は何も持たずに体にスイング動作を覚えさせる。次にクラブを逆さまに持ってクラブヘッドの重さを感じさせないでクラブの振り方を覚えさせる。次にボールを打たずにクラブヘッドを振る感覚を覚えさせる」と書いてあることが分かった。そういえば学生時代に友達を投げ飛ばしたくて勇んで講道館に通ったら、三ヶ月は投げ飛ばされる稽古ばかりでうんざりしたが、この基本指導をゴルフでは『ドリル』といい、柔道では『受身』といって大切にしている。

 

正統ゴルフへの道 2

サンケイ学園と提携して女性ゴルフ教室を開催することになったが、最初から定員14名が一杯になった。問題は10回のカリキュラム編成と使用テキスト、二人の担当プロの指導法を統一することだ。早速二人のプロにこの点を質したところ、二人揃ってニヤニヤしながら「若い支配人はいいね」と冷やかされた。ゴルフに基本はないから一人一人みな指導が違うし、カリキュラムやテキストなんかあるはずがないという。この一言で全身の闘争心に火が着いた。そんなはずはない。芝ゴルフ教室を訪ねた。赤坂・瀬田モダンゴルフ教室を訪ねた。日本プロゴルフ協会名誉会長・浅見録蔵師匠にも尋ねた。答えはみな同じ、オタクの二人のプロの言うことが正しいと。ウーム・・・。ここから私の果てしないゴルフ探求の旅が始まることになった。1971年29歳のときである。

 

当時米国ゴルフ界はアーノルド・パーマー、ジャック・ニクラウス、ゲーリー・プレーヤー三強の全盛期であり、日本ゴルフ界は杉原輝夫・青木功・尾崎将司の三強時代を迎えていた。勝負強いこと、人気が高いことではいずれも甲乙つけがたいが、この六人のスイングの何処を真似すれば良いのか。まして、これからゴルフを始める女性14名は何を参考にしたらいいのか。二人のプロの経験に全てを任せる以外に私には手も足も出せない。二人の教え方は違うから14名を二班に分けるか、別々のクラスを担当させるしかない。確かにウチの二人のプロのスイングも100メートル先から一見して見分けられるほど違う。この二人が同じ人たちを交互に教えたら習う方が混乱するに決まっている。私は納得いかないまま彼らの指導に頼るしかなかったから、第一回生は先輩プロが主任コーチとなり、後輩プロが助手を務めることになった。そうすれば第二回生は後輩プロが担当しても第一回生と大きな違いは出ないかもしれない。教室開校に当たって挨拶したものの「コースに出られるまで頑張ってください」という以外に語る言葉もなく、新米支配人にできることは精一杯お愛想を振りまくことだけだった。

 

その頃米国では学校体育ゴルフが着々と浸透しつつあり、全米統一テキストやテキストに沿った指導マニュアルが次々と完成していた。中学高校大学の体育教師やクラブ監督が、多くの生徒たちを統一テキストを使って指導していたのである。悪戦苦闘する私は、地球の裏側で合理的な近代ゴルフ指導が始まっていることなど全く知らず、あいも変わらずゴルフレッスンはこれで良いものか尋ね歩いていた。誰もがこれで良いとは思わないが、プロにしてみれば自分の経験と勘で教える以外に方法がなかったのである。なぜならばプロ自身が誰に習うこともなく我流でゴルフを覚え、ひたすら球を打ってプロになったのだから仕方がない。私が米国の教育プログラムの存在を知ったのが1975年だから、正統ゴルフに出会うのに、それから更に多くの歳月を要したことは当然と言える。

 

正統ゴルフへの道 1

大学を卒業してからゴルフを始めた私は、生涯一度も正式にゴルフを習ったことがない。会計法律事務所を辞めてゴルフ練習場の支配人になった私が最初に手がけた仕事は『月例競技会』と『ゴルフ教室』を開くことだった。練習場の役割は「上達したい動機付をつくること」と「正式なゴルフを教えること」だと考えたからだ。練習場でいくらボールを打ってもコースで正式なゴルフゲームをしなければゴルフプレーヤーにならない。正式なゴルフゲームとはルールに則った競技会に参加することだが、練習場ゴルファーには競技会に参加する機会がない。いつの時代も会員権を買ってクラブメンバーになる人は全体の2~3割程度にすぎないから、ほとんどのゴルファーが競技会に出る機会もないまま練習場に通って打ち直しの練習をしていたのである。

 

例えばバッティングセンターに通ってバッティングの練習をし、塀に向かってボールを投げてキャッチする練習をしても、野球というゲームに参加しなければ本当のベースボールプレーヤーにはなれない。壁に向かってテニスボールを打っている人も、実際にコートで相手とボールを打ち合ってはじめてテニスプレーヤーに成長する。相撲も四股を踏んだり柱にぶつかるだけでは相撲取りにはなれないし、それを一人相撲という。練習場でひたすらボールを打っている人を見ていると、バッティングセンターや壁テニス、一人相撲に汗を流している人と重なって、何とかしなければいけないと思い始めた。自分も支配人を引き受けたからには、正式にゴルフを学ばなければいけないと思って学校を探してみたが、東京でも芝の女性ゴルフ教室、赤坂と瀬田の陳清波モダンゴルフ教室ぐらいで学校といえるものはなかった。それまで英語、柔道、書道、会計、法律いずれを学ぶにも、テキストがあり教師がいて基本から順序良く指導してくれたものだ。ゴルフも奥が深いし難しいから、当然のこととして専門学校があり基本体系指導してもらえるものと思ったのである。誰に聞いても専門学校どころか、ゴルフは習うものではなく慣れるものだという。「そんな馬鹿なことはないはずだ」と思ったのが運の尽き。ゴルフの基本体系をまとめるのに30年の歳月を要するとは、その時点では夢にも思わぬことだった。

 

月例競技会を始めてまずルールの勉強から取り組んだが、次にすぐハンディキャップの問題が浮上した。公平適正なハンディキャップを算出するには正式な計算規定に従わなければならない。USGAハンディキャップマニュアルを読んでスコア台帳を作成し、練習場を閉めた後、そろばんを使って一人一人ハンディキャップ計算をするのは時間のかかる仕事だった。過去のスコアデーターから規定数の直近上位ディファレンシャルを検索し、その平均値の96%を整数にしてハンディキャップとする計算規定は、コンピューターには優しいがそろばんには厳しい。1970年代に入って米国は既にコンピューター社会が始まり、科学技術ゴルフの探求が始まっていたことを知るのは、それから大分経ってからだ。