ゴルフ再生への道 1-12 産業再生と高齢社会

日本もかつては70%以上の人が第一次産業といわれる農林水産業に依存していたが近年は僅か5%に過ぎない。そしてこの5%の人を保護するために莫大な国家予算が使われているが、多くは延命治療に近い捨て金になっている。1キロ50円で輸入できるコメを350円で国内生産するために、マグロや鯨をわざわざ地球の裏側に捕りに行くために日本は国際舞台で袋叩きに遭っている。「金と頭は使いよう」というが、その一次産業保護の捨て金と森林組合やアメリカの知恵を美しい自然環境や豊かな地域環境づくりに使えないものか。日本は国土が狭いと言いながら森林や田んぼが余っているのだから生産性や経済性、社会性や公共性の高い目的に再利用したら良いと思うのだが。

 

シルバータウン構想は20年以上前から提案していたがバブルの時代は「年寄り臭い」と言われ、崩壊後は「それどころではない」と言われた。グローバル時代を迎えて日本の産業構造が大きく変化し、少子長寿社会となって人口構成も変化した。歴史的変化の中で農林水産業もゴルフ場も存続が危ぶまれているが、うまくすれば両者とも再生する可能性がある。再生どころか21世紀型の先端新事業や先進高度社会が誕生するかもしれない。今や世の中から厄介者扱いされている年寄りと破綻ゴルフ場が協力してユートピアを建設するとなれば、若者だって血湧き肉踊る話ではないか。これぞ究極のリサイクルビジネスだ。

 

長年社会人として大人社会を生きてきた者が、ある日突然「自由に生きて良い」といわれても朝起きて行く所がない、やることがないの「サンデー毎日」が続けば「何のために生きているのか」という疑問を抱くのは大人ゆえの悩みだ。ところが人間は歳と共に成長すると思ったら大間違い。本当は歳と共にガキっぽくなるようで優しく言えば「子供に返る」らしい。ならばいっそのこと老後は子供のように毎日屈託なく過ごしたいものだが、ゴルフ場で戯れる年寄りを見ていると「ゴルフは大人を子供にする」のは間違いない事実だと確信できる。ゴルフの特性は生涯楽しめることと誰とでも楽しめることだが、それを可能にしているのがゴルフの歴史と伝統である。

 

ゴルフの歴史は誰もが楽しめる大衆スポーツとして世界に普及し、伝統は全てのゴルファーに品格と正義を涵養してきた。歳とともに喜びや楽しみが無くなる年寄りがゴルフを通して魂を甦えらせ、歳とともに相手にしてくれない若者や孫とゴルフを通して品格と正義を学ぶ。欧米の老ゴルファーたちはゴルフによって自分達自身と子供や孫世代に生きる力を与えてきたのである。シルバータウンは高齢者が第三の人生を有意義に過ごすだけでなく、人生で培った実践技術や実践知識を体験学習を通して次世代へ伝承していくカルチャーセンターでもあるのだ。シルバータウンから次世代の松山英樹、石川遼、宮里藍が続々と誕生し世界に飛び立って行くことは目に見えている。

 

石松の活躍

田中将大が破格の契約金でヤンキースに入団した話題で持ちきりの先週、米国PGAツアーで石川遼、松山英樹の二人が上位入賞を果たした。石川はトップと二打差の7位タイ、松山は4打差の16位タイだった。日本の若者が世界のヒノキ舞台に進出して活躍する姿は見ていて頼もしく誇らしいものだが、活躍するだけでなくその言動も頼もしく誇らしい。既にイチロー、松井をはじめとする野球選手がサムライといわれるほど日本人らしく堂々と振舞うさまは天晴れとしか表現のしようがない。今後も記者会見に臨んで苦手な英語を無理に話す必要はないし、照れ隠しのお世辞笑いもいらないから、日本式に礼儀正しく挨拶して欲しい。「郷に入って郷に従え」ということと「日本人のアイデンティティを失わない」ということは相反することではないのだから。

現代はグローバル・ダイバーシティ(世界規模の多様性)を受け入れなければならないといわれるが、アメリカ大統領もその女性補佐官もPGAツアーの帝王も黒人である事実がそれを証明している。PGAツアーにはオリンピックのようにいろいろな国籍の選手が出場しているし、街でも多様な人種を見かける。国技館に行けば歴代優勝者の肖像画に日本人力士の姿はない。それなのに大学病院には外国人医師も看護士もいないし、裁判所には外国人裁判官も弁護士も見当たらない。学校でも外国人教師はめったに見ない。スーパーやコンビニには外国産食品がいっぱい並んでいるのに、ドラッグストアには外国製薬品がない。多様化が進んでいる分野とそうではない分野がはっきりしてきたが、今後ゴルフはどうなるのだろう。日本のゴルフ場に外国人ゴルファーが溢れ、日本ツアーで世界中のトッププレーヤーが競い合う時代が来るのだろうか。

多様性は画一性の反対概念だから、早い話が「何でもあり」の社会が始まることになるが、見方を変えれば混乱した社会でもあり混沌とした社会にもなる。そんな社会で自分の存在をはっきりさせることがアイデンティティの確立とすれば、ゴルフには長い歴史と伝統に支えられた固有の思想文化があるから、どこまで個性が受け入れられるか問題だ。石川も松山もゴルフという郷に入ってはゴルフの郷に従う必要があるが、その中で日本人らしいアイデンティティを何処まで発揮できるか楽しみだ。礼儀正しいことや真面目で正直なことは日本人の特徴だが、これはゴルフだけでなく世界中どんな社会でも通用する。日本人のアイデンティティは武士道精神ともいわれるが、この精神がゴルフの世界でも通用することを二人にも知って欲しい。アジアツアーが盛んになり石松時代が本格化した頃には、キリスト教徒だけでなくイスラム教徒やヒンズー教徒、仏教や儒教のゴルファーも出場するだろうが、そんな中で毅然とかつ燦然と輝く武士道石松の姿を見たいものだ。

 

石松時代の到来か

「両雄並び立たず」という言葉があるがライバル同士がお互いを切磋琢磨して両雄を大きく育てることがある。野球の王・長島、相撲の柏戸・大鵬、ゴルフの青木・尾崎、パーマーと二クラスがそうだ。いま石川遼と松山英樹がそんな関係になりつつある。年齢も同じだし、お互いが意識し尊敬し合っている。二人の関係は見ていてとても爽やかで微笑ましくもある。それでいてタイプも性格も正反対のように見える。石川は都会的で洗練された感じ、松山は野性的で無骨な感じが良い。石川が周囲に気を配り丁寧に受け応えしているのに対し、松山はマイペースで愛想がない。この二人は似たもの同士ではなく全く対照的だ。それぞれの個性を強力にかもし出しているにも拘らず、二人とも嫌味がない。それは演出されたり創作されたものではなく、生まれながらに備わったものが個性となって現れているからだろう。

日本の社会は共通性や画一性を大切にして成り立ってきた。社会全体が何処の切り口を見ても同じ顔かたちなので「金太郎飴」などといわれた。学校に通いだしたときから同じ服に同じ鞄、同じ教科書に同じ授業、違う服装をしたり違う教科書を開いていると先生に叱られた。人は顔かたちが違うように、性格も能力も関心もみんな違っているはずだが、みんな同じ教科を同じ時間づつ勉強させられていた。好き嫌いや得意不得意に関係なく皆同じ教育を受けて、その中で誰が一番平均点が高いかを競わされてきた。平均点の高い子を優等生といい低い子を劣等性という。同じ型にはめて教育するから画一教育ともいうが、いくらボールを遠く正確に飛ばそうがパットの名手だろうが、文部省の定めた教科の平均点が低ければ劣等性の烙印が押される。

石川や松山が優等生か劣等生か知らないが、そんなことに関係なく素晴しい若者を育ててくれた学校や両親に拍手を贈りたい。学校も家庭も金太郎飴を育てるのに戦々恐々としてきたが、できた金太郎飴はちょっと変な顔をしていると規格外とか出来損ないといって社会からはじかれてしまう。そもそも何で金太郎でなくちゃいけないのか、アンパンマンやタイガーウッズの顔じゃいけないのか、犬や猫じゃいけないのか。このようにひとつの顔ではなく、いろいろな顔を育てる教育を民主教育というはずだし、いろいろな顔を個性として受け入れる社会を民主主義というはずだ。政治経済・スポーツ芸能あらゆる社会に個性あるいろいろな顔が揃うと楽しいし、若者にとっても無限の可能性が秘められた社会が実現する。でも唯ひとつ必要な画一性として、エチケットルールを守る品性と感性を備えないと、たちまち堕落社会や無法社会に転落する。

 

全英オープンの教訓

実力者フィル・ミケルソンの優勝で終わった「2013全英オープン」は、今年もまた数々の教訓を残してくれた。日本から8人出場して決勝進出は二人。その一人がプロ転向3ヶ月の大物ルーキー松山英樹で、タイガー・ウッズと同じ6位入賞である。予選二日間は米英を代表するフィル・ミケルソン(米)、ルーク・ドナルド(英)と世界のトッププレーヤーとプレーしながら、全く臆することなく堂々と予選通過したのだから見事というほかない。ちなみにドナルドは予選落ちした。

 

松山英樹は幸運だ。プロデビューの舞台は最古の伝統クラブミュアフィールド、共演の役者は英国を代表するルーク・ドナルドと、米国を代表するフィル・ミケルソン。初日二日目と同じ組でプレーしたのだから、それだけでも世界の注目を浴びるのに、そのうえ世界一のタイガー・ウッズと肩を並べる6位入賞だから、日本のゴルフ史に名を残す快挙といわなければならない。だからといってお祭り騒ぎをするのはまだ早い。この程度でお祭り騒ぎをするようでは、日本はいつまでたってもゴルフ三流国に終わるからからだ。優勝したミケルソンだって20年挑戦し続けてやっと勝利を掴み、キャディや家族と肩を抱き合って泣いた。

 

日本では、いままでどれだけ多くの有望な若者を「ほめ殺し」してきたか分からない。日本を世界地図で見れば一目瞭然、極東の小さな島国なのだ。日本一だからといって世界に出れば小さな存在に過ぎない。日本一だ!世界だ!金メダルだ!と騒がれて、万歳三唱で送り出された若者が落武者のようにひっそりと帰国する姿をどれほど見たことか。本来なら敗れて戻ってきた者こそ暖かく迎え入れ、激励してやるのが親心であり大人の姿のはずだが。いつまでたっても「一将功なり万骨枯る」では多くの有能な若者が次々と枯れていく。

 

今年の全英オープンには8人の日本人プロが挑戦しているが、多くの人がその事実すら知らないかもしれない。ひょっとしたら松山英樹一人が出場したと思っているかもしれない。眠い目をこすってテレビを見ていた私ですら、とうとう予選落ちした6人の姿が放映されるのを観ることができなかった。どんな思いで全英オープンに臨み、どんな思いで帰国したか考えると気になって仕方がない。彼らがプロである以上、安易な慰めは無用だ。臥薪嘗胆。その無念を明日の活力にしてこそプロなのだから。松山英樹は6位入賞は忘れてもいいから、R&A競技委員からスロープレーのペナルティーを喰らった悔しさは生涯忘れてはならない。日本から来た若者にガツンと拳骨を食らわせたR&Aも強かなら、「糞ったれ!」と言わんばかりの顔つきで最終日に巻き返した松山も強かだ。誉め言葉なんか忘れてその悔しさだけが心に残っていれば、必ず将来は世界を背負うプロに成長するだろう。

 

大物ルーキー

大物ルーキーと言われる松山英樹が、プロ転向して早くも大物振りを発揮しているが、同じ歳の石川遼が米国ツアーで悪戦苦闘している姿と対照的だ。しかし石川遼もデビューした時には大物ぶりを発揮して世間をアッと言わせたものだが、その石川遼が世界に出て苦しむさまに、世界の壁の厚さを知って私たちの方が驚いている。ならば世界の壁はそんなに厚く、日本のゴルフ技術はそんなにレベルが低いのかと思いがちだが、私は断じてそんなことはないと信じる。
ゴルフは登山、スキー、マラソンなどと同じように気象条件や自然環境に対応しなければならないスポーツだから、環境が変われば技術だけでは勝てない。
そのうえゴルフは自然環境だけでなく、社会環境にも対応しなければならない厳しい側面を持っている。石川遼は日本PGAの閉鎖的封建社会の殻を破って頭角を現し、米国に渡って新たな社会環境に挑戦している。自由平等を国家理念とするアメリカ合衆国にあっても、白人プロテスタントが支配する米国PGAという社会環境は宗教色の強い差別社会でもある。かつてリー・トレビーノ、チチ・ロドリゲス、ロベルト・デビセンゾが、いまはビジェイ・シン、タイガー・ウッズ、アンヘル・カブレラらが目に見えない宗教や人種の壁と闘っていて、石川遼もそのひとりで、置かれた立場を思うとやはり「頑張れ!」と叫びたくなる。

 

慣れない自然環境に飛び込んだとき人の体は異常な反応を示すが、慣れない社会環境に飛び込んだときは、むしろ体より心の方が異常な反応を示してしまう。そのうえ人の体と心は微妙に連動しているので、異常反応が連鎖を起こして自分自身でもコントロール不能の状態に陥ってしまう。かつて多くの若者をアメリカゴルフ留学に送り出したが、SOSの連絡を受けて何度も救出に行った経験がある。「朝になると足が動かなくなって一歩も歩けない」とか「英語が分からないから買い物にも行けない」といって閉じこもっている。もっと進むと「もう日本には帰れないから自殺したい」と訴える。このような社会環境に対する反応は、その社会に順応するか無視しなければ耐えられない。有色人種が白人社会で生きるのも、無信仰者が異教徒社会で生きるのも、社会環境の違いは私たちが生きるうえで実に大きな壁だ。地方人が東京に来ても、東京人が地方に行っても、それぞれの社会環境の違いは大きな壁になる。その壁を乗り越えた人だけが異なる社会環境で生きていくことができるし活躍することもできる。ガラパゴス島といわれる日本もどんどんグローバル化して、いろいろな人種、国籍、宗教の異なる人々が住みはじめた。観察すると外国からガラパゴス島に来た人には住み心地が良い環境のようだが、ガラパゴス島から外国に行くとどうにも住み心地が悪いようだ。ガラパゴス島の住人は異質な社会環境に住めなくなってしまったようだが、世界で活躍しようとするなら、ガラパゴス島を飛び出してどんな社会環境にも順応できる体質を作らなくては駄目だ。実際に野球やサッカー、技術者や芸術家は、どんどんガラパゴス島を飛び出して活躍しているではないか。ただし、ガラパゴス島固有の甘ったれ精神は置いていかないと命取りになることだけは肝に銘じておかなければならない。代わりに世界に通用する武士道精神をまとって行くことを是非お勧めしたい。

 

では基本とは何か 2

松山英樹が太平洋マスターズに優勝し、石川遼が優勝の花道を出迎えた。暫らく明るいニュースに乏しかった日本の男子プロゴルフ界に、若者が爽やかな話題を提供してくれたが、日本のゴルフ界は稀に見るこの二人の逸材を大切に育てなければならない。ゴルフに限らずどんな世界でも逸材は存在し、若くして才能の片鱗を見せるものは多い。特に体力勝負のスポーツ界ではその傾向が強いが、なぜハタチを過ぎると唯の人になることが多いのか。低迷し続ける日本のゴルフ界は、この逸材を決して唯の人に終らせてはならないのだ。

 

「神童もハタチ過ぎれば唯の人」とはよく言われることだが、実例は周囲にいくらでもある。反対に「大器晩成」とも言われるが、いま男子プロゴルフ界はアラフォー世代に支えられている現実がある。ジャックニクラスがシニアツアー入りしたとき「私のゴルフはまだ進化していると思う」といった言葉を思い出すが、それは負け惜しみでもなく実感だったに違いない。二クラウスのあと帝王の座を継いだトム・ワトソンが、還暦を迎えた年に全英オープンでプレーオフになるまで優勝を争ったことは記憶に新しい。

 

ハタチ過ぎて成長が止まるのを「早熟現象」ともいうらしいが、肉体的な成長が止まることが原因か、精神的に成長し始めることが原因か良く分からない。
両方が原因になっているとも思えるが、両方が原因になっているとすれば肉体と精神の成長は二律背反してしまう。それではスポーツ選手の人間的な成長はありえないことになってしまうから、この考えは間違っている。人間的な成長は艱難辛苦という人生トレーニングを受けないと得られないと言われるが、早熟現象が起きる人はハタチまでに大成してしまい、人生トレーニングを受ける機会を失ってしまったことが原因なのだろうか。

 

確かにタイガー・ウッズは尊敬する父親の保護を失ったら、厳しい人生トレーニングに耐えられず人生そのものを破綻させてしまった。反対に横峰さくらは父親の手を振り払って自ら人生トレーニングに飛び込んだら、どんどん成長し始めた。ゴルフが人生ゲームに例えられるだけに、この二人は対照的な存在だ。石川遼も松山英樹もこれから人生トレーニングが始ることになるが「では基本とは何か」という課題が生まれる。松山英樹は東北の人に励まされてマスターズに出場しようと決意したそうだが、最初の人生トレーニングとして最高の基本プログラムを与えられたのではないだろうか。見ていて成長を感じる。

 

新帝王誕生か

ボロボロの帝王タイガー・ウッズが欠場するUSオープンで世界中のゴルフファンがアッと驚いた。北アイルランド出身の弱冠22歳ローリー・マキロイがタイガー・ウッズの12アンダー優勝記録を更新して16アンダーで優勝したのだ。12アンダーですら当分破られることはないだろうと言われていたのが、16アンダーとは誰もが恐れ入った。全米プロやUSオープンは毎年コースレート委員や運営委員によって最高難度に設定されるから、出場選手は誰もがパープレーを基準にコースマネジメントしている。だから一番ビックリしたのはコース設定した委員たちだったろう。

 

北アイルランドが何処にあるか、すぐ説明できる人はそうたくさんいないかもしれない。まして北アルランドの国旗を見て英国の一部だと分かる人はもっと少ないはずだ。英国国旗といえば赤青白の米印みたいなユニオンジャックを思い出すが、ゴルフトーナメントにユニオンジャックの旗はなく、なぜか王国旗を掲げて出場する。ゴルフ発祥地スコットランドの国旗は青地に白のバツ十字、イングランドの国旗は白地に赤の十字架、北アイルランドは赤の十字架に王冠、ウェールズは白緑地に赤い竜。四つ足してユニオンジャックになるはずが、なぜか合わせるとウェールズが消えてしまう。いろいろ事情はあるようだ。

 

宗教改革以来、アイルランドはカソリックとプロテスタントの抗争が絶えないようだが、英国領となった北アイルランドは本国アイルランドと英国の板ばさみとなって確執や労苦が絶えないのではないか。私たちには分からないが思想や地勢上の問題は話し合って解決する問題ではない。昨年の覇者マクダウェルも今回のマキロイも言葉で表現できない思い十字架を背負って出場していたに違いない。その重荷をバネに爆発したとするなら、私たちは彼らを心から尊敬し賞賛するだろう。

 

私たちも今、大震災津波に放射能被爆という重荷を背負っている。聖書に「試練は忍耐を生み、忍耐は練られた品性を生み、品性は希望に変えられる」とあるように、北アイルランドの人々が十字架の重荷からマクダウェルやマキロイという希望を見出したなら、私たちも天災の重荷から石川遼や松山英樹という希望を見出したいものだ。二人が国際舞台の希望の星になるためには、もっともっと世界を体験し勉強しなければならない。ゴルフの競技年齢を考えれば未だ20年以上もある。七難八苦を天に願って、練られた品性を生むのが先決だ。日本よりうんと小国の北アイルランド、韓国、南アフリカを思えば確率的には断然有利なはずなのだから。

 

日の丸背負って

東日本大震災から1ヶ月経たないうちにマスターズが始った。日本から4人のサムライが出場したが、そのうちの一人松山英樹は被災地仙台から出場したアマチュア選手である。日本はもう大津波で沈没してしまうのではないかと世界中が心配する中で、世界のゴルフ祭典「ザ・マスターズ」に、しかも被災地からアマチュア選手が出場したわけだから、私たち日本人にとってもほろ苦い喜びである。日本選手の帽子に「がんばれ日本!」のワッペンが付いているのは痛々しい感じすらしたが、地球の表と裏でこうも状況が違うものかと世界の大きさを感じさせられた。

 

ゴルフは典型的な個人競技でありながら、ワールドトーナメントではひとり一人が国旗を背負って出場している。英国にいたっては英国旗を背負わずスコットランド、イングランド、ウェールズ、北アイルランドの王国旗を背負ってる。国の名誉を背負って出場するものにとって、自己実現より責任負担の方が遥かに重いだろう。世界中から「がんばれ日本!」のエールを送られてプレッシャーを感じない方がおかしいが、今回の「がんばれ」の意味合いは普段と大分違う。不幸や悲しみに負けるなという意味で多くの同情が含まれているから、Vサインで応えるわけにはいかない。軽く帽子に手を添えて会釈するくらいしかできないが、不幸や悲しみを背負っているものの頑張りには胸に熱いものを感じる。日本から出場した若者に多くの人が抱いた共通感情だろう。

 

まだ10代という若者二人を、マスターズ決勝ラウンドに送り込んだ日本のゴルフ界は前途洋々に思えるかもしれないが、実際は暗雲が垂れ込めている。バブル崩壊から20年、未曾有の破綻劇を繰り返し、10兆円近い損失と200万人近いゴルフ難民を生んだとされるが、3月11日の震災で更なる地盤沈下をしたと思われるからである。しかしゴルフには強い生命力があって、ゴルフ場は何度倒産しても経営者を取り替えて復活してくる。今度こそ本物の経営をして年金生活者や失業者、お金の無い若者やジュニアがゴルフの夢を追いかけられる舞台を提供して欲しい。東京都の「若洲ゴルフリンクス」など世界に恥ずべき公営ゴルフ場といえるが、若洲ゴルフリンクスが国際標準料金になったときが日本のゴルフが民主化したときといえる。石原知事はゴルフの文化性や教育性を良く理解されている人だから、東京から日本を変える政策によって、日本のゴルフに夜明けがやってくるかもしれない。日の丸背負って世界に飛び立っていく若者達が機内から若洲ゴルフリンクスに手を振るときが早く来て欲しい。