ゴルフ再生への道 2-09 一度は摘まれた教育改革の芽

日本のゴルフ界は今まで全くの教育不毛地だったわけではない。日本はもともと教育熱心な文化国家だ。ゲーリー・ワイレン博士を招聘して東京大阪を中心に各地でゴルフセミナーを開催したとき、多くの人が熱心に受講した。朝日新聞社の久保講堂には4000人余の応募者があり、抽選しなければならなかったほどだ。セミナー5年目を迎えた1984年には日本のゴルフ界に文明開化の兆しが見え始めていた。日本ゴルフ界の総本山JGA日本ゴルフ協会では保守派と改革派がゴルフ界を二分しかねない激しい主導権争いをしていたのである。

 

NGF-FEはJGA乾豊彦会長と提携し日本各地でゴルフ指導者養成講習会を開催しようとしていた。JGA改革派の先頭に乾豊彦会長、渡辺武信専務理事、田村三作理事などが名乗りを挙げたのである。これに対して保守派はJGAを文部省傘下の公益法人にし、ゴルフ界全体を文部行政下に統括しようとしていたが、欧米諸国から見ればスポーツ行政を国家統制下に置くとは戦時体制に逆行する行為であった。米国ゴルフ界の人たちは「日本は共産国家か?」と言って驚いたほどだ。この指導者養成講習会は日本全国に燎原の火の如く燃え広がり1年に300名以上が受講するようになったが、半数は全国のトップアマ達だった。

 

1987年、文部省の方針通り日本ゴルフ協会は文部省公益法人となり日本体育協会管轄下に置かれた。同時に「文部省の認めない団体の教育を受けたものはプロないしアマチュア資格を剥奪する」という民業圧迫政策が断行され、改革派の人たちは次々と失脚し、NGFの教育を受けた多くの人たちは難を避けて地下に潜伏した。この政策によって燎原の火は消され一度芽生えた教育改革の芽は摘まれたのである。日本ほど教育熱心な文化国家に教育不毛地があるなんて不思議に思えるが、実際は30年前に教育改革の芽は立派に育ち始めていたことを知らなければならない。更に一度芽生えた改革の芽は、摘まれた後も焼土の下に根付いて時を待っていることを忘れてはならない。

 

いま教育の自由化グローバル化が始まった。スポーツのグローバル化もどんどん進んでいる。ガラ系政策、ガラ系教育、ガラ系職業、ガラ系人種が次々と絶滅の危機に瀕しているが、今こそ福沢諭吉の『学問のすすめ』に耳を傾けるべきだ。日本は本来教育先進国であること、長い歴史と伝統をもつ文化国家であること、日本人はそれを築いてきた民族であることを忘れなければ、21世紀の日本は教育文化の発信地となり、日本人はグローバル社会のリーダーとなる資質を備えている。一度は摘まれた教育改革の芽が再び芽吹き、21世紀の人材が育ってくれば日本のゴルフ再生は今度こそ早いはずだ。

 

国際化とグローバル化

2年ほど前に相撲協会の体質が問われて大騒動したが、今度は柔道連盟の体質が問われて大バトルが始まった。相撲も柔道も日本の伝統スポーツ文化としての歴史を持っている。今では横綱も優勝者も外国人力士が独占しているし、モンゴル出身の力士が圧倒的に強いのをみても国際化したことは明らかだ。それならモンゴル相撲と日本相撲が同じ格闘技かというと実際には大分違うし、欧州出身の力士はレスリングやサンボなど全く別の格闘技から転向しているようだ。だから相撲の場合には相撲が国際化したというより、力士が国際化したというほうが正しい。相撲興行は日本国内だけで開催されているから国際化したとはいえないが、ウランバートル場所とかモスクワ場所、パリ興行とかニューヨーク興行が開催されるようになれば本当に国際化したといえるだろう。

 

相撲に対して柔道は完全に国際化している。世界中いたるところに柔道場があり、世界各国に柔道協会があるうえ世界柔道連盟という国際組織まである。さらに世界統一ルールに従って世界選手権やオリンピック大会が開催されているから、国際化を超えてグローバル化したといってもよいのではないか。つまり同一基準に従って地球規模で行われているからグローバル化である。ところがどうも最近明らかになってきたことは、日本の柔道界の実態が古式豊かな伝統技芸の姿を残したまま存在していて、国際社会どころか現代社会そのものに受け入れがたい状態のようだ。これをガラパゴス化というが、密閉された閉鎖社会で行われている古き慣行は、その世界で常識であっても一般社会では非常識を超えて犯罪行為なのである。事情聴取を受けたり逮捕された関係者に全く責任意識がないところに更なる問題の深さが感じられるのだが。

 

実際に柔道の試合を見ていると、外国選手の闘い方は「エッこれ柔道?」と思うことが時々ある。柔道ってもっと堂々としたもの、礼儀正しいものという先入観があるから違和感を感じるのだが、私の錯覚なのだろうか。この度の騒動は指導員や指導現場から発生したものだが、彼らはみな日本柔道連盟と文部科学大臣が認定した指導資格認定証を掲げている。それでは外国で指導している指導員たちも日本の文部科学大臣の認定証を掲げているのだろうか。そんな話は聞いたことがないし、他にも不思議に思うことがある。鍼灸治療院や整体治療院には、日本柔道連盟と厚生労働大臣が認定した接骨治療師の認定証が掲げてある。接骨治療師が柔道を指導しているとも思えないし、レントゲンも手術室もない治療院で、交通事故や工事現場で起きた複雑骨折の治療ができるとも思えない。果たしてそれを日本柔道連盟や厚生労働大臣が認可して問題ないのだろうか。なにやらウサンクサイ気がする。大臣認定の資格認定証は他にもいっぱい存在するが大丈夫だろうか。TPPの交渉が今年から始まるようだが、国際化からグローバル化に進もうとする時代にあって、日本固有の構造や制度規制を大局的に見直すチャンスではないか。日本固有の伝統文化ならば是非とも守るべきだし、政界・官庁・業界団体の癒着から生まれた利権構造ならば一刻も早く構造改革して規制緩和し、外部の優れた技術や人材を受け入れた方がいいに決まってる。構造改革、規制緩和、TPP参加という言葉の意味はとても深いということを頭に入れておこう。

 

ゴルフプロの仕事

日本でゴルフのプロというとトーナメントプロとレッスンプロを指すが、欧米豪州カナダではクラブプロやビジネスプロを指す。ゴルフ大国アメリカには何万人ものゴルフプロがいるが、そのうちトーナメントプロはせいぜい1000人前後、レッスンプロはほんの僅かしかいない。「えっ!」と思うかもしれないが、日本のゴルフ界の構造が欧米諸国と根本的に異なる点のひとつなのだ。ゴルフの分野だけでなく、いろいろな分野で日本の特殊性が明らかになってくるだろうが、それがグローバル化の特徴でもある。今年はTPP交渉参加の是非を国民レベルで検討しなければならないが、私たち国民一人一人が自分本位や日本の国益本位で物事を判断する訳にはいかない時代が到来したということだろう。

 

幕末の時代に鎖国によって徳川幕藩体制を守ろうとした人々も、外国人を獣のように毛嫌いした人々も、そのとき世界で何が起きているのか、欧米諸国はどうなっているのか知らない人たちだった。アメリカでは独立戦争が終わり自由平等を掲げる民主国家が成立していたし、フランスでもフランス革命が終わり自由平等博愛の理念の下に共和国が成立していた。幕末の若者は吉田松陰に象徴されるように、処刑されることが分かっていても自分の目で世界を見たかったのだろう。若者の好奇心と情熱が時代を変え社会を変えていったことを思うと、日本の構造改革や規制緩和が一向に進まずどんどんガラパゴス化していくのはなぜか、まことに不思議なのである。もし日本の若者がいまの日本に満足して現状維持したいと考えているならば、それこそ天下泰平というべきで何も言うことはない。しかし現実は学校卒業しても仕事がない、結婚したくても家庭が支えられない、子供が生まれても育てられない。ましてゴルフがしたくても余裕がなくてできない。いま世界で何が起きているというのだろうか。

 

世界はいまグローバル化に向けてまっしぐらに進んでいる。ヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に移動する時代が到来したのだ。街に出れば外国語を話している人が一杯いるし、店をのぞけば外国産の商品が一杯あふれ、銀行に行けばいろいろな外国紙幣が交換されている。やがて自分は何処の国で暮らしているか分からなくなるかもしれない。そんな世の中で日本のプロだけが日本固有の姿で存在していることを誰も疑問に感じていないようだ。欧米諸国のゴルフ場はほとんど全てプロが経営しているのに対して、日本ではプロが経営しているゴルフ場はほとんどない。ゴルフ場はトーナメントプロやレッスンプロでは経営できないから、欧米諸国では大学やビジネススクールでクラブプロやビジネスプロを養成している。欧米諸国はどうなっているのか知らないとすれば、日本のゴルフ界の人たちは幕末の人たちとなんら変わらないことになってしまう。