東北楽天の優勝に想う

東北楽天がシーズン優勝を決めた。東北にまたひとつ喜びの歓声が上がったと思うと心から「おめでとう!」とエールを贈りたくなる。鬼軍曹の星野監督が涙ぐみ、球界エースのマー君が雄叫びを上げるには東北の人達を喜ばせたい励ましたいという強い想いがあったからに違いない。その熱い想いが天に通じたかのような優勝だったが、シーズン中の数々の逆転劇も負けを知らないマー君の熱投も何者かに背中を押された力強さを感じざるを得ない。

 

ゴルフトーナメントの優勝者にも必ずその力強さを感じる。優勝者のプレーを振り返ると必ずありえないプレーがいくつかあって、やはり優勝する人は何者かに背中を押されて優勝するんだなあと思うことがよくある。日本人は「無心」とか「無我夢中」いう表現でそのときの心境を語り、欧米人は「祈る」という表現でそのときの行動を語るが、その結果は常識では考えられない想定外の出来事が次々起きて、天や神の働きをいやがうえにも思い知らされる。

 

反対に想定外のアクシデントや失敗が次々起きて、うまくいっていたものがメチャクチャになってしまうことがある。こういうときは「アガッタ」「欲が出た」「油断した」「プレッシャーがかかった」などさまざまな表現を使うが、そのときほとんどの人が自分は何をしているか解らない心境に陥り、セルフコントロールできない状態にあったはずだ。こういうとき「無心」になるのは難しいが「祈る」のは易しい。ゴルフがメンタルゲームといわれるゆえんだろう。

 

このような精神状態やゲーム展開を科学的にコントロールするのがマネジメントサイエンスといわれる領域だが、欧米が進化している割に日本ではほとんど普及していない。日本人は信仰心がうすい割りに精神論が好きで短期戦は強いが長期戦に弱いのは、精神の緊張が長くは続かない証拠だろう。精神の緊張も良い緊張なら良いが、悪い緊張に限って長く続く。そんなとき瞑想にふけることもできないし座禅を組むこともできない。東北楽天の選手のように人を励ますために我を忘れて「無我夢中」にゴルフをしてみたいものだ。

 

マネジメントゴルフの凄さ

1月30日米国サンディエゴ郊外のトーリーパインCCで行われた「ファーマーズ・インシュランス・トーナメント」の決勝最終ホールで物凄い光景がみられた。
最終組の前を回っていたババ・ワトソンがバンカーからピン上5メートルの難しいところに寄せ、その難しい下りパットを決めて16アンダーとし、優勝を殆んど手中に収めたかに見えた。最終組のフィル・ミケルソンは14アンダーで最終ロングホールの第二打を池の手前にレイアップして、終始ババ・ワトソンの様子を見ていたが、さすがに第三打を直接カップインしてプレーオフに持ち込む意欲を断たれたかにも見えた。

 

ところがミケルソンは打順が来るやグリーンまで歩いて来てどこにボールを落とせばカップインするか丹念に調べているではないか。じっくりとグリーン面を観察し、落とし所を見定めたうえでキャディーを呼んでピンを持って立たせ、ショットし終わったらすぐピンを抜くように命じているようである。72ヤードのアプローチショットを絶対カップインさせるという気迫に満ちた雰囲気がみなぎり、ミケルソンの真剣な様子に大観衆は水を打ったように静まり返って固唾を呑んだ。二打差をつけて待ち受けるババ・ワトソンも、きっと心臓が止まる思いがしたのではないか。

 

いま世界ツアーではピンポイントでターゲットを狙ってくるほど精緻なゴルフをしている。現代のゴルフは徹底したマネジメントサイエンスに基づいてヤード刻みに距離を測定し、コースやグリーンに関する情報を収集し、スピンコントロールされた変幻自在の弾道を放って戦略的に挑戦する。だからミケルソンの最終ホールのプレーは単なるギャラリーを沸かせるスタンドプレーではない。本人はもちろんババ・ワトソンもギャラリーもテレビ視聴者も、全員がマネジメントされたショットの成功確率を知っているから見守ったのである。

 

日本が情報鎖国している間に世界のゴルフはどんどん進化してしまった。あんなに保守的だった英国や南アフリカのゴルフもどんどん米国の科学技術ゴルフを導入しているし、韓国のゴルファーも日本の上空を通過して直接米国に渡って現代ゴルフを学んでいる。先週の「ファーマーズ・インシュランス」一日目、二日目とも韓国人選手が首位の座を窺っていたことも、日本人選手が二人とも予選落ちしたことも、どうやら偶然とはいえない気がする。日本のゴルフに明治維新が起きたと思って改めて世界に目を向けてショットすれば、きっと文明開化の音がするに違いない。