eラーニングの時代

ゴルフがeラーニングで学べるなんて夢にも思わなかった。40年前、ゴルフ教室を始めようと思って芝ゴルフ教室や陳清波モダンゴルフ教室を訪ねた頃、ゴルフに基本も教則本もないと言われてびっくり仰天したのがウソのようだ。誰に聞いても「ゴルフが巧くなりたければダンプ一杯ボールを打て」と言われ、「尾崎も野球からゴルフに転向しようと毎日1000球のボールを打っている」とも言われた。「習うより慣れろ」「教わるより盗め」「体で覚えろ」と、訊ねたプロ全員が口をそろえて言う。さらに「巧くなる秘訣なんかない」とも言い、「もしあったらオレはこんな所でレッスンなんかしてない」とも断言した。その言葉には妙な迫力があった。これらの言葉を裏付けるようにPGAレッスン部長の森田吉平プロは、「素振り10万回」を提唱して富士に森田道場を開いていた。

 

だが待てよ。ひょっとすると今でもゴルフはそうやって巧くなるものだと思っている人が意外に多いかもしれない。それが証拠に「飛球法則」「スイング原則」「生体原理」「スイングメカニズム」など基本の話を始めると、キャリアがある人ほどびっくりするより「ゴルフは理屈じゃない」という顔をするのだ。追い討ちをかけて「もう一度基本からやり直してみませんか」というと、「いまさら」といって手を横に振る。そういう人に限ってリヤカー一杯ほどもゴルフの雑誌や本を読んでいる。今さらという言葉の裏には「ゴルフなんて、いくら習ったり本を読んても巧くならない」という確信が満ち溢れているからだろう。さらに追い討ちをかけて「あなたのゴルフは所詮ザル碁かヘボ将棋なんでしょ?」というと、「なにをコノ野郎!」という顔をしてやっと真顔になってくれる。

 

実はゴルフ王国アメリカでも、40年前には同じようなことを言い合っていた。既にベン・ホーガン『Five Lessons』などの名著が出版されていたものの、いくらベン・ホーガンのスイングを詳しく解説されても、所詮ホーガンの真似などできる訳がない。その証拠にホーガン二世もホーガン再来も聞いたことがない。名手やプロのスイングを真似するのではなく、スイング原則に従ってマイスイングを形成しスクウェアシステムから9種弾道を自在に打ち分けたり、技術の基本パターンを修得する学習法開発は、40年前にNGFの手によって進められていた。学校授業にゴルフを導入するためには、学習能力や身体能力に係わりなく、誰もがSimple & Easyに習得できるものでなければならなかったのだ。

 

米国豪州カナダのプロや上級者達は、申し合わせたように基本が大切だという。
それは彼ら自身が基本を学ぶことによって、最短距離で現在の技量に到達したことが解っているからに違いない。その基本は言葉で伝わり文字で理解し視覚で納得できるものでなければならない。eラーニングとは三次元(3D)で学べることだから、それが好きな時に好きな所で手元のタブレットやスマートフォンで学べるのだから、まさに夢が現実になったということだ。

 

基本の定義と意義

基本を定め定義付けるには多くの時間と労力を要した。1960年代に米国NGFが全米の学校体育授業にゴルフを導入するに当たって、多くの優れた高校大学ゴルフコーチやLPGAのベテランプロが教育コンサルタントとして集められプロジェクトチームが組織されている。この時代はベン・ホーガン、バイロン・ネルソン、サム・スニードからアーノルド・パーマー、ジャック・ニクラウス、ゲーリー・プレーヤーに主役が移ろうとしていたときである。その時代のトッププレーヤーたちから普遍の共通点を見出し、基本を定義づけることが如何に困難なことだったか想像してみれば分かる。

 

例えば近代スイングの原形と言われる前の三人は、いずれも非の打ち所のない完璧とも思えるスイングの持主だったが、ホーガンはフェードボール、ネルソンはストレートボール、スニードはドローボールを持ち球としていた。後の三人は米国の黄金時代を築いたが、三人のスイングは個性あふれるものであったが共通点は見出しにくい。帰納法によって共通点を見出し、テイラーの科学的管理法にしたがって共通点を分析することは、そう簡単なことではなかったはずだ。それだけにゲーリー・ワイレンがオレゴン大学で『法則原理選択の理論』を書いて博士号を取得したのは大変に意義深い。

 

同時代の日本のトッププレーヤーとして杉原輝男、青木功、尾崎将司の三人を上げることができるが、この三人のスイングから共通点を見出すことは至難の業である。名を上げた内外のトッププレーヤー達は、いずれも個性的スイングとして完成しているからこそ、時代のトッププレーヤーとして一世を風靡していた訳で、常識的には他のプレーヤーと共通点などあろうはずがなかった。他のプレーヤーの多くは、トッププレーヤーの個性を秘訣と思って必死に盗み取ろうとしていた訳だから、誰もが共通点など見向きもしなかったはずだ。

 

このような時代背景の中で基本の探求は進められている。基本とは名人達人の業でありながら、万人に対して普遍的に適応できる技術でなければならない。万人とは年齢性別能力において千差万別を言い、普遍的とは誰に対しても適応できることを言う。だから基本とは初心者に対してだけではなく、名人達人に対しても基本でなければならない。基本をおろそかにする者は決して名人達人の域に達することはないし、名人達人と言えども基本をおろそかにする者はやがて凡人に舞い戻り、決して元の名人達人に戻ることはできないと言われている。タイガー・ウッズほどのプレーヤーと言えどもこの原則から逃れられない。

 

では基本とは何か 3

基本は昔からあったわけではない。永年にわたりゴルフに基本はないと言われ続けてきた。理由は簡単で、1970年代まではクラブが手作りの手工芸品でだったためにスペックがバラバラで、クラブ毎にスイングを変えなければならなかったからである。ほとんどの人が親か先輩に譲ってもらったクラブを後生大事に使っていたから、そのクラブに慣れるまで練習場に通ってボールを打ち、そのクラブに合ったスイングづくりをしていたのである。クラブセットも同一メーカーとは限らず複数のメーカー品で構成され、各クラブスペックはバラバラなのが当たり前だった。だからどうしても打てないクラブが何本かあって、得意なクラブと不得意なクラブがあるのは当然とされた。今でもプロゴルファーのプロフィールには得意クラブ○○と書いてあるのはその名残りである。

 

だいたい達人のクラブは、あちこちグラインダーで削った後や鉛が張ってあって、戦場帰りの傷痍軍人のようだった。クラブを見ればその人の腕前が分かると言われたが、きれいなクラブを持っている人は自分のスイングができていないか、もったいなくて削ることができなかった人である。ケニー・スミスによってバランス計が作られたとき、試しに名手ボビー・ジョーンズの使用クラブを計ってみたところ、全てのクラブが同じバランスだったという伝説がある。それにヒントを得たせいか、ケニー・スミスは「貴方だけのクラブをつくります」と宣伝していたが値段はめっぽう高かった。しかし、ケニー・スミスを使っている人に名手はいなかったように思う。自分の名前が刻まれた高価なクラブを切ったり張ったりできる人など、めったにいなかったからだろう。

 

1976年ゲーリーワイレンが、PGAマガジンに「ボールフライトロウ」を発表してから米国に本格的なスイングイノベーションが起こり、ワンスイングの探求が始った。ワンスイングとは各プレーヤー固有の一定スイングという意味である。記憶では私たちが最初にワンスイングを見たのは、NHKが放映したジャック・ニクラウスの特集番組からである。ドライバーからウェッジまで全く同じスイングテンポで打つ二クラスの技術は基本と言うより芸術だった。なぜドライバーからウェッジまで全てのクラブを同じスイングで打てるのか、多くの人が唖然として見つめたものである。言うまでもなくワンスイングを可能にしたのはクラブ製造技術の進歩であるが、あくまでも工業技術の進歩で規格大量生産が可能になったからある。同じスペック性能のクラブを大量に製造することができるようになったからといって、決してゴルフが進化したわけではない。基本に則ったワンスイングが完成していなければ規格工業製品は役に立たない。

 

学習の高速道路

「インターネットは学習の高速道路」と言った人がいたが、自分でインターネット学習してみて本当にそう思える。インターネットはキーワードを入力するだけで百科事典、専門書、新聞雑誌テレビを脇において勉強しているような気分になる。そのうえ専門書に書いていないことやマスコミが報道しないことまで分かるし世界中から学べる。イヤハヤ高速道路なんていう生半可なものではない。ビックリ仰天である。そのかわりウソやウソっぽいものも多くうっかりすると騙されそうだ。ネット上はまさに玉石混淆(読み方が分からない、意味が分からないときはインターネット検索すればすぐ分かる)だから、反って本物を見つけ出すのが難しくなった。高速道路を突っ走るどころか、ゴミ収集車でゴミを拾って歩くことになりかねないからだ。

 

インターネットを開くたびに、自分が如何に小さなミクロ世界に住んでいるか思い知らされるが、生きていくうえで知らなくてもいいことが山のようにある。
知識や情報の山から本当に貴重な玉石を見つけ出して磨き上げたいと思うが、その玉石がなかなか見つからない。ネット上には「ゴルフの秘訣」や「飛ばしの秘訣」を語る独自説が充満しているが、本当の秘訣なんて1%どころか万にひとつもない。そんな中で1968年大英ゴルフ学会が発表した『Search for the Perfect Swing』が辿り着いた、「世に完璧なスイングはない」という結論こそ、玉石に違いないと感じた米国PGAゲーリー・ワイレンが、オレゴン大学で博士号を取得した学位論文『法則原理選択性理論』で秘訣がないことを、理論的に説明して見せた。「誰がどんなスイングで打ってもボールは物理法則に従って飛ぶことしかできない」という結論だ。

 

1976年PGAマガジンにこの論文が掲載されて、米国ゴルフ界は騒然となった。あたかもコペルニクスが『地動説』を発表したときのように。秘訣を求めて血の出るような修行を積んでいるトッププレーヤーや達人達は「自分の努力は何だったンだ!」と思ったに違いない。しかし、実際は達人たちの絶望の中からゴルフのイノベーションが始ったのである。スイングの法則原理を知ることによって秘訣とかミラクルと言われたショットが、一定のトレーニングによって誰にも可能になったばかりか、3年掛かったものが1年で、10年掛かったものが3年で達成できるようになった。だから16歳のチャンピオンが誕生しても少しもおかしくない時代が到来したのである。本物をみつけて学習したものだけが到達できる、高速道路サービスエリアである。

 

世界で戦うために

21世紀はITグローバル化の時代といわれ、なるほどそうだと思う。
インターネットを見れば日本のプロが世界の何位にランクされているかすぐ分かるし、お隣の韓国選手が相当実力をつけてきたこともすぐ分かる。新聞雑誌がいくら派手に煽ってもホントのことがすぐ分かるし、ウソはすぐバレる。
ホントのことがすぐ分かって何でも見えてしまう世界をサイバーワールドというなら、ケータイ文字が見にくい我々世代にも理解できる。それでも実際はホントのことは分からないし、見えないンじゃないの?とも思う。世の中に神秘はたくさんあるし不思議なことだらけだ。インターネットで何でも分かるなら、次に起きる大地震や私の葬儀日程くらい分かりそうなものだが。

 

「日本のプロがなぜ世界の舞台で勝てないか」は不思議なことのひとつだ。
本人以外の原因として (1)普段プレーするコースが易しすぎる。(2)マスコミが騒ぎすぎる。(3)親や周囲が干渉しすぎる。本人の原因として◎勉強不足。が考えられる。本人以外の原因については多少ゴルフに関心のある人なら誰もがヤハリと思うだろうが、本人の原因についてはホント?と思う人が多いかもしれない。ゴルフはフィジカルゲーム性よりメンタルゲーム性が強いし、肉体運動というより頭脳運動という方が納得いく。日本のプロが技術的には相当高いレベルにあることは多くの人が認めるところだが、練習方法やトレーニング方法に問題があると睨んでいる専門家は少なくない。

 

1970年代に入って米国ではゴルフのイノベーションが起きはじめた。オレゴン大学でゴルフ博士号を取得したゲーリー・ワイレンが『法則原理選択性の理論』を発表したことが大きな原因となった。「ボールは誰が打っても物理法則に従って飛ぶことしかできない」という簡単な理論だが、それは殆んどコペルニクスが発表した『地動説』と変わらない。後になれば誰でも分かることが初めて知ったときには大騒ぎになるものらしい。米国ではゴルフの科学的進歩という形でイノベーションに繋がったが、日本では禁止令という形で外国の科学技術を学ぶ道を閉ざす方向に繋がった。地動説と同じ運命を辿ったのである。

 

世界では「科学的な裏付理論による自由な弾道選択」が常識になり、日本では「猛烈な打球練習による経験と勘の養成」が主流を成している。世界で勝てない理由がホントに勉強不足なら禁止令など無視して今すぐ勉強すれば済むことだが、もし勉強嫌いがホントの原因で勉強不足ならインターネットを見ても何も分からないし、世界で勝てないのも不思議ではない。これは他人事ではなくわたし達にも言えることだ、ということもホントらしい。

 

基本の大切さ

「何事も基本が大切」という言葉は頻繁に聞く割に、実際は結構おろそかにされているようだ。あのタイガー・ウッズですら、今は基本に戻ってスイング形成やパッティングドリルをやり直しているというし、石川遼も試合のあと「もう一度基本を徹底的にやります」とよく言っている。世界一や日本一を誇るトッププレーヤーといえども、基本のうえに高等技術が形成されていることを証明しているようだが、その土台となっている基本とは何かとなると、多くの人が沈黙してしまう。実は、ゴルフの基本は1970年代以降に確立したもので、それ以前にゴルフの基本はなかった。「えっ!ウソ」という人は比較的若い世代で、「ほんとだよ」という人は間違いなく中高年世代のはず。

 

1960年代に米国ゴルフ界は学校体育授業にゴルフを導入するためNGFの開発プロジェクトチームの手によって教育プログラムが開発されていた。学校教育に導入するには、どんな生徒にも当てはまる基本を確立しなければならない。
NGFコンサルタントといわれる大学コーチやPGAプロによって編成されたプロジェクトチームは、数年の歳月をかけてNGF教育プログラムを完成させた。いわば講道館の嘉納治五郎が柔道の基本を確立した話に似ている。米国の若手中堅プロは殆んど基本教育プログラムによって育ってきた。米国で育った選手のゴルフは生体物理原則に則ったワンスイング・スクウェアシステムから飛球法則に従った9種弾道を自在に打ち分けるスタイルなのですぐ分かる。

 

9月第三週、札幌で開催されたANAオープンの最終ラウンド池田勇太と韓国K.J.チョイの一騎打はとてもおもしろかった。池田勇太は日本の強者達に育てられた職人芸。K.J.チョイは米国で育った基本ゴルフ。「何としても勝ちたい」という思いはほぼ互角のようだがスタイルの違う両者が一歩も譲らないまま、とうとう18番最終パットまで決着がつかないという手に汗握る真剣勝負となった。K.J.チョイは厳しい米国ツアーを戦ってきた若手国際選手だし、池田勇太は日本が期待する若手ホープだ。本人もギャラリーも池田勇太に優勝させたい一心が勝負を決した感があるが、米国ツアーで鍛えられたマシーンのように正確なショットと冷静なマネジメントゴルフに、池田勇太がじりじりと追い詰められていることは誰の目にも分かった。K.J.チョイが18番、計測したようなセカンドショットをバーディーチャンスにつけて、池田勇太は喉元に刃物を突きつけられたような恐怖感を味わったはずだ。K.J.チョイがバーディパットを外したために、池田勇太は冷静さをとり戻して優勝できたが、優勝パットを決めた瞬間に勇太の目から溢れ出した涙が全てを物語っていた。プレーオフになったら限界まで追い詰められた池田勇太に勝ち目はなかったはずで、イヤというほど基本の恐ろしさを知った彼は、この優勝できっと大きく成長するに違いない。