2015年になると日本のゴルフ界にも教育界にも劇的な変化が見られるだろう。ゴルフ界では2015年問題つまり団塊世代がゴルフから引退し始め、教育界ではeラーニングが普及し始める。そうすると日本のゴルフ教育改革はeラーニングによって起こり、ゴルフ再生もeラーニングによって実現するのではないかという予感がするのである。情報通信革命の波に乗ってゴルフ教育もゴルフ産業も再生復活するとなれば、2020東京オリンピックまでの5年間は劇的ゴールデンタイムになるはずだ。「崩壊のシナリオ」が「復活のシナリオ」に書き換えられるのだが、そのシナリオを書き換えるのはゴルフを愛し東京オリンピックの成功を願う大衆ゴルファーなのだ。決して行政機関や業界団体ではない。
2020年までのゴールデンタイムに、大人と子供がeラーニングによって一緒に正統ゴルフを学び科学的トレーニングを行う。一緒に練習試合をしスコアカードを提出して世界共通ハンディキャップやバッジを取得する。eラーニングだからこそ、日本各地でこのような草の根活動が展開できる。地方に行くほど身近に空いていて安価なゴルフ場があるから、都市部より地方の方が遥かに有利な環境に恵まれる。eラーニングの時代は、地方にいても最初から世界基準の正統ゴルフを習うことができるから、地方にどんな逸材が育つか楽しみだ。都会で雑多な情報に惑わされながら育つのと違い、地方なら欧州田舎育ちのマキロイやカイマーのような素朴で強靭なゴルファーが育つだろう。
情報通信革命の時代は、eラーニングシステムによって燎原の火の如く全国各地に教育改革が進み、2020年には全く違った教育環境が整っているに違いない。東京オリンピックを成功させようと正統ゴルフや伝統ゴルフを学んだエリートゴルファーは、ソーシャルネットワークを通じて都会のエンジョイゴルファーにも大きな影響を及ぼすはずだ。2020年、東京オリンピックが終わってみれば日本のゴルフマーケットは一変しているだろう。消費者がマーケットを変え、マーケットが事業者や業界を変えるのが自由競争市場の原理だから、行政機関や業界団体が規制や談合によって市場操作するよりも、市場原理に委ねる方が遥かに大規模で自由活発な発展が期待できるはずだ。
東京オリンピックの後には、日本のゴルフが質量ともに高度成長するシナリオが待っている。成長したゴルファーを迎える業界スタッフもeラーニングシステムによって高度な技術や専門知識を身に付けていなければならない。そうなれば日本は世界屈指のゴルフ環境を備えた国に成長しているはずだから、アジア・アラブ・南米・アフリカからも夢を持った若者が集まってくるだろう。現時点では2030年に日本のゴルフ産業は崩壊することになっているが、おっとどっこいシナリオを書き換えれば情報通信革命と東京オリンピックをバネにして強かにゴルフ文化大国に成長するチャンスが待っているのだ。
「ゴルフ再生への道」 シリーズ2 教育改革と人材育成 完
ピーター・ドラッカーはIT時代の到来が教育に劇的な変革をもたらすだろうと考えていた。21世紀になってその兆候が確実に現れてきた。具体的にはeラーニングシステムの出現である。マサチュセッツ工科大学から始まったオープンコースウェアという全授業の無料ネット公開は大学教育に革命的変化をもたらそうとしている。従来、大学の授業を受けるには入学試験に合格し授業に出席しなければならなかった。ところが今やインターネットの操作が分かれば誰もが世界のどこからでも授業に出席できるようになり、全国の大学は存亡をかけて大混乱している。
学生側からすれば勉強する気さえあれば、世界の如何なる僻地からも格差社会のどん底からも無料オンデマンドで授業に出席できる有難い時代が到来した。経済格差が教育格差を生み、教育格差が更なる経済格差を生む負のスパイラル構造に革命的変化がもたらされたのだ。この時代変化と社会変化の中で日本のゴルフ教育改革を進めるならば、30年の遅れは一気に取り戻すことができる。大切なのは学生側の自覚と認識の問題だ。「何で勉強するの?」「何を勉強するの?」と言われたら如何に環境整備しても変革も改革も起きない。ここに教育改革最大の課題が横たわっている。
「何で勉強するのか」「何を勉強するのか」という自覚と認識の問題は、目標や課題が掲げられたとき、現状のままでは到底達成できないことが認識されて初めて答えが見えてくる。良い学校に進学しようという目標がなければ誰も真剣に勉強しないし、全国大会に出場しようという目標がなければ誰も汗水たらして過酷な練習はしない。ゴルフだって世界に通用するゴルファーになりたいとか競技会に出場したいという目標がなければ、勉強する必要もなければ熱心に練習する気にはなれない。目標こそ動機付けに必要な条件だ。
日本のゴルフ再生にとって格好の目標ができた。2020 TOKYO OLYMPICだ。東京オリンピックを成功させるには日本のゴルフを世界に通用するゴルフに変えなければならないし、世界に通用する多くのゴルファーが育たなければならない。何で勉強するのか。ゴルフの文化や伝統を知るために。何を勉強するのか。英国伝統精神ゴルフや米国科学技術ゴルフを。東京オリンピックを目標に全国草の根ゴルファーがeラーニングによって正統ゴルフを学びだしたとき、一度は摘まれた教育の芽が全国に芽吹き、やがては燎原の火の如く全国に燃え広がることになるだろう。やがて教育改革が大衆ゴルファーの間に起こり、東京オリンピックは国民ゴルファーによって成功裏に終わる。オリンピックが終わった後には堅固なゴルフ再生基盤が築かれているだろう。
2000年、小泉内閣は「聖域なき行政改革」を訴えて民間活力を引き出し経済成長に結び付けようとした。目的は1896年から続く官主導の公益法人が民間事業を圧迫して成長の妨げになっているのを改革するためである。2006年には公益法人改革案を国会で可決し3600の公益法人を解体した。文部省管轄下にあったPGA日本プロゴルフ協会とJGA日本ゴルフ協会は行政改革委員会の事業仕分により2014年PGAは公益社団として、JGAは公益財団として内閣総理大臣の管轄下に置かれることになった。文部省という旗艦・母艦を失って護送船団は既に崩壊したため、業界団体は各自が百戦錬磨の民間企業とスクラッチ勝負をしなければならなくなったのだ。
業界団体はもともと自由競争市場に馴染まない。親方日の丸の下に同業者を結束させ市場を独占して完全売り手市場を形成しようとする政策だからである。しかしITグローバル社会は一般大衆に真相情報を公開し、官主導による業界団体の利権政策が民間企業や消費者の利益を大きく阻害している実態を明らかにしてしまった。「文部省が認めない団体の教育プログラムを使用したり勉強するとプロ資格やアマチュア資格を喪失する」などという独裁的な規制は世界に例を見ない。中国や北朝鮮の常識が世界の笑いものであることを知りながら、日本の常識が世界の笑いものであることには気が付かなかった。JGAハンディキャップも世界の非常識であることを知らず、私たちは本当に極東ガラパゴス島の住人だったことをいま知り始めたばかりだ。
PGA・JGAはじめゴルフ場事業協会・全国練習場連盟などの業界団体は公益事業を営む民間団体として内閣総理大臣の監視の下に経営再建を図らなければならない立場にある。公益事業部門にのみ税制優遇が与えられたものの、全ての利権を失って自由競争市場に放り出されたいま、各団体とも存亡を賭けた戦いを強いられている。「業界の業界による業界のための」団体から「ゴルファーのゴルファーによるゴルファーのための」団体に変わらなければ生き残れない。PGAメンバーも厳しい環境に立たされている。ゴルフもろくに分からない歴代文部大臣の認定証を掲げ、独自のカリキュラムと称する我流レッスンが売り物では、とても自由競争市場で生き残れない。
ITグローバル社会の到来は情報通信革命となってあらゆる業界や職業にイノベーションをもたらしている。小泉内閣が叫んだ「聖域なき行政改革」は情報通信革命のほんの序曲に過ぎなかった。歴史的に見れば今は「大政奉還」がなったばかりで、これから世界を睨んだ「殖産興業時代」が始まろうとしている。140年前に福沢諭吉が叫んだ『学問のすすめ』が今また甦って、歴史に学ぶものこそ賢者として生き残れることを教えている。
日本のゴルフ界は今まで全くの教育不毛地だったわけではない。日本はもともと教育熱心な文化国家だ。ゲーリー・ワイレン博士を招聘して東京大阪を中心に各地でゴルフセミナーを開催したとき、多くの人が熱心に受講した。朝日新聞社の久保講堂には4000人余の応募者があり、抽選しなければならなかったほどだ。セミナー5年目を迎えた1984年には日本のゴルフ界に文明開化の兆しが見え始めていた。日本ゴルフ界の総本山JGA日本ゴルフ協会では保守派と改革派がゴルフ界を二分しかねない激しい主導権争いをしていたのである。
NGF-FEはJGA乾豊彦会長と提携し日本各地でゴルフ指導者養成講習会を開催しようとしていた。JGA改革派の先頭に乾豊彦会長、渡辺武信専務理事、田村三作理事などが名乗りを挙げたのである。これに対して保守派はJGAを文部省傘下の公益法人にし、ゴルフ界全体を文部行政下に統括しようとしていたが、欧米諸国から見ればスポーツ行政を国家統制下に置くとは戦時体制に逆行する行為であった。米国ゴルフ界の人たちは「日本は共産国家か?」と言って驚いたほどだ。この指導者養成講習会は日本全国に燎原の火の如く燃え広がり1年に300名以上が受講するようになったが、半数は全国のトップアマ達だった。
1987年、文部省の方針通り日本ゴルフ協会は文部省公益法人となり日本体育協会管轄下に置かれた。同時に「文部省の認めない団体の教育を受けたものはプロないしアマチュア資格を剥奪する」という民業圧迫政策が断行され、改革派の人たちは次々と失脚し、NGFの教育を受けた多くの人たちは難を避けて地下に潜伏した。この政策によって燎原の火は消され一度芽生えた教育改革の芽は摘まれたのである。日本ほど教育熱心な文化国家に教育不毛地があるなんて不思議に思えるが、実際は30年前に教育改革の芽は立派に育ち始めていたことを知らなければならない。更に一度芽生えた改革の芽は、摘まれた後も焼土の下に根付いて時を待っていることを忘れてはならない。
いま教育の自由化グローバル化が始まった。スポーツのグローバル化もどんどん進んでいる。ガラ系政策、ガラ系教育、ガラ系職業、ガラ系人種が次々と絶滅の危機に瀕しているが、今こそ福沢諭吉の『学問のすすめ』に耳を傾けるべきだ。日本は本来教育先進国であること、長い歴史と伝統をもつ文化国家であること、日本人はそれを築いてきた民族であることを忘れなければ、21世紀の日本は教育文化の発信地となり、日本人はグローバル社会のリーダーとなる資質を備えている。一度は摘まれた教育改革の芽が再び芽吹き、21世紀の人材が育ってくれば日本のゴルフ再生は今度こそ早いはずだ。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」で始まる平家物語は既に800年前に既得権やブームにあぐらを掻く者はいつか必ず滅亡することを告げている。
20数年前、世界一を誇った日本のゴルフ産業は鎖国体制に護られて既得権益を形成し、世界に学ぶことを放棄した。つまり文部省は認定団体や関連団体に「外国技術ノウハウの導入禁止」なる通達を発布し、護送船団を組織して徹底的に既得権益を保護した。その頃米国では着々とイノベーションの成果が出始め、米国型科学技術ゴルフが完成しつつあったが、鎖国体制に入った日本のゴルフ界は最先端技術や最新情報の導入を頑強に拒んだ。その間米国カナダ豪州では教育制度が充実し、多くの人材を輩出して新たな繁栄を築いたのである。
この30年間で日米の間に生まれた教育格差は衰退と繁栄という正反対の結果をもたらした。衰退も繁栄も全ては人のなせる業だから人材なくして再生も復活もありえない。日本のゴルフ再生を目指すには、まず教育格差を埋める作業から開始しなければ人材そのものが得られない。情報鎖国によって教育基盤形成を怠った空白の30年で失ったものは余りにも大きく、経済産業省が警告する日本ゴルフ産業が崩壊する2030年までに適切に対応しないと警告が現実になる。残された15年で私たちは何ができるのか。教育格差によって生じた経済格差は教育改革によって再生する道しかないことは自明の理だ。
日本のゴルファーやゴルフ界の人に「勉強しなさい」と言うと殆どの人がキョトンとした顔をして「何を勉強するんですか?」と問い返す。教育不毛というのは教育不要と同じ意味を持っているようで、教育を受けていない人は教育を受ける必要を感じていない。だから教育振興のために教育不毛地でボランティア活動している人は、どうしたら現地の人たちが教育現場に来てくれるか考えるのに苦労するという。子供にはお菓子を上げたり遊んであげたり、大人には珍しい物を上げたりご馳走したりして少しづつ勉強に対する興味を持たせなければならないそうだ。
教育不毛地に教育の種を蒔くということは、教育を受けたら何か褒美をくれることから始めなければならないらしい。だから先進国は教育費を無料にするだけではなく国民の義務として強制することになったのだろう。本来人間は勉強するものではなく、勉強しないものとして対応しなければ教育は普及しない。公務員も軍人も昇進試験や昇給テストを課して勉強させているが、何のことはない人間もサーカスの動物たちと同じ「アメとムチの原理」によって芸を仕込まれていたのである。この原理は永久不滅の法則かもしれない。
ガラパゴス島というのは、そこで生まれ育った生物にとっては誠に快適な環境らしく、島の外に出ると違う環境に馴染めず絶滅してしまうという。情報鎖国している日本の社会環境に住むガラ系住人は外国の社会環境では絶滅するだろうといわれている。例えば日本の農業・漁業から弁護士・会計士・医師・教師まで国の手厚い保護の下に育った職業人は大部分がガラ系だといわれている。実は日本のゴルフ界の人たちは国の手厚い保護を受けたわけではないのにガラ系職業人になってしまったが一体何故だろう。
日本のゴルフ産業は教育不毛のまま未曾有の大成長を遂げてしまったが、それは文化としてではなく商業娯楽あるいは金融ビジネスとして一過性のブームに乗ったに過ぎなかった。ブームは去ればそこに必要性も必然性もなくなり、何の魅力も感じなくなってしまうのが常だ。ゴルファーは自然増殖するもの、客は何もしなくても押し寄せるものと思い込んでいたら、ある日突然状況が変わってしまった。余りにも恵まれた市場環境に育った職業人は環境変化に対応できず、いつか元に戻ると信じて10年を過ごし、なすすべもなく更なる10年を過ごしてしまったが、気が付けばそれは絶滅への道のりだった。
ゴルフ界に働く人たちはゴルフラッシュの時代感覚を日本の常識として捉えてきたために世界の常識を無視してきた。ゴルフは贅沢なスポーツだから平日1万円・土日祭日2万円が常識。一流コースはキャディ同伴・豪華昼食付18ホールストロークプレーが常識。競技ハンディは新ペリアが常識。ドレスコードこそゴルフの常識。ましてゴルフは我流が常識。専門教育など受けた者がいないのが常識となれば完全なガラパゴス島だ。日本の常識は世界では通用しない。世界で通用しないことが段々日本でも通用しなくなる現象をグローバル化ともいうが、グローバル化はIT化と共に進むから、情報鎖国してもネットが世界の常識を片っ端からバラしてしまうので止めることができない。
世界の資本主義社会は市場原理に基づく競争と淘汰の中で成長してきた。日本の資本主義は1940年に布かれた国家総動員法に基づく統制令の下に、戦後も競争と淘汰を避けて護送船団に護られ発展してきた。第一次安倍内閣が掲げた戦後レジームからの脱却とは、この護送船団の打破を意味したが正しく理解していた人は余りいなかったようだ。TPP交渉が始まってようやく「日本の常識、世界の非常識」の意味が解り始め、安倍内閣の支持率も安定してきた。極東の孤島から世界に飛び出した企業や人材は競争と淘汰の中で逞しく成長していったが、護送船団に護られたり情報鎖国に閉ざされていた企業や人材は今や絶滅の危機を迎えている。ガラ系とは変化に対応できない絶滅種をいうようだ。
米国PGA教育部長ゲーリーワイレン博士を主任講師として開催された『NGFインストラクターズセミナー』は東京大阪を中心に5年間開催されたが、ボールフライトロウなど科学的な最先端理論に受講者は陶酔した。博士の提唱する「5つの原則・12の原理・無限の選択性」理論は最初難しく思うが、理解すると知らないことが恐ろしく思えてくる。さすがアメリカのレッスン界を統一した理論だと納得いくが、日本ではまだ多くの人が理解していないことに日米の格差を感じざるを得ない。ボールフライトロウはスイング論・スイング診断・クラブ開発・コースマネジメントなどにイノベーションを起こした原点だから、この法則原理を理解しないと進化の過程もイノベーションの結果も理解できない。原則を知らないと個人的な経験則や仮説理論の試行錯誤を永遠に繰り返すことになるが、日本のスイング解説やレッスン記事はワイレン理論を理解していないがために30年間変わらなかった。
日本が情報鎖国国家だと気付いてる人は案外少ない。PGA日本プロゴルフ協会はワイレン理論やNGF教育プログラムの導入を望んだが、1984年文部省公益法人に認定されるに当たって当局より「外国技術ノウハウの導入禁止」なる規制を受けたため導入することができなくなった。同時にスポーツ行政を文部省管轄下に統括してスポーツ指導員を国家認定資格制度に制定する方針を打ち出した。いわゆる『社会体育指導者資格付与制度』である。日本体育協会加盟団体が発行する指導者資格を文部大臣が認定するというもので、非加盟団体や民間機関を一切排除する事実上の国家統制令であった。その結果「文部省が認めない団体に加担協力したものはプロ資格を剥奪する」という厳しい通達が出されて関係者を震え上がらせたが、日本のゴルフ界は近代化を図ろうとした矢先に幕末暗黒時代にタイムスリップしてしまったのである。
不幸なことに鎖国令が出された数年後の1992年にバブル経済が崩壊し、日本のゴルフ産業は大破綻するが、その時点で欧米豪州にゴルフイノベーションが起きていたことも、日本のゴルフが完全にガラパゴス化していたことも気が付かなかった。1998年にはハンディキャップシステムがUSGA方式に世界統一されたことも気が付かず、日本がオリンピック開催国に決定して初めて慌ててUSGA方式を導入する始末である。そして最大の不幸は日本が情報鎖国している間に諸外国はどんどん近代化し人材が育っているのに、日本には人材育成の基盤整備すら進んでいなかったことだ。幸いなことにIT革命によるグローバル時代が始まり、TPP交渉によって日本人が世界に目を向け始めたために段々と世界の動向が分かり始めてきた。気が付けば行動の速い日本人だから一気に遅れを取り戻すだろうが、暴走バスに乗るのは避けたい。
ゴルフ場の合理化再編成が進んだ米国では各地に10ドル前後でプレーできるパブリックコースがいくらでもあったし、学校自体がコースを所有することも珍しくなかった。コースは公園やグランドの延長のようなもので維持費もさほど掛かるものではないから、授業やクラブ活動で使わない時間帯は一般有料公開すれば維持費も捻出できる。米国ではコースの問題よりもゴルフを正しく指導できる人材育成の方が課題となって1960年代末からゴルフインストラクターの養成が始まった。既に60年代から学校教育プログラムの開発を進めていたNGFは高校大学の教師を対象にサマーキャンプセミナーを始めたのである。
日本では1970年代に入って本格的なゴルフブームが起こり、多くの若者がプロゴルファーを目指して修行を始めていた。当時はゴルフ場も練習場も今よりも料金が高かったために、普通の若者がゴルフの練習をするにはゴルフ場や練習場のアルバイトや研修生になることが必要だった。中学高校を卒業して週刊誌を読みながら我流で練習し10年修行しても、プロテストに合格するものは1割程度に過ぎない。家庭環境に恵まれた若者は私立大学のゴルフ部に籍を置いて悠々自適のゴルフライフを楽しんでいたが、私が8万円程度の月給で支配人をしていた時代に日大ゴルフ部の学生は月平均70万円の仕送りを受けていた。
米国では既にレッスンプロという職業がなくなり、課外授業で学生を指導する高校・大学教師のゴルフインストラクターと、プロモーションとして社会人を指導するゴルフプロフェッショナルに二極化していた。つまりゴルフインストラクターの本業は学校教師であり、ゴルフプロフェショナルの本業はゴルフ場経営である。今ではデーブ・ペルツやブッチ・ハーモン、デビッド・レッドベターやハンク・ヘイニーのようなトッププレーヤーを指導するプロコーチが脚光を浴びているが、極めて少数の特殊な専門職とみられている。
日本のインストラクター養成は1979年から始まった。6月にサンディエゴで開催されたNGFインストラクターセミナーに日本から20名が参加し、10月に東京新宿で開催されたセミナーに日本各地から200名が参加して指導法を学んだ。このとき日本にはゴルフインストラクターという言葉もなく全てレッスンプロという言葉で表現されていたが、特に資格制度もなかった。参加者は自称レッスンプロはじめ大学教師、ゴルフ場支配人、練習場経営者など多彩であったが、講習内容は全てが目からウロコの世界であった。我流レッスンが巷に横行していただけに期待も大きかったが、80年代に入るや段々と霞ヶ関の利権に支配された日本固有の資格認定制度と対立することになるのである。
日本のゴルフラッシュが始まった1970年代に米国ゴルフ界は本格的な教育投資を始めている。空軍スポーツディレクターだったNGF専務理事ドン・ロッシー氏は全米の大学教授から抜擢したゴルフコーチとPGA・LPGAの優秀な教育メンバーによってNGF教育コンサルタントチームを編成し教育プログラム開発を進めたが、そこに世界最強の軍隊をつくりあげた科学的システマティックなノウハウが導入されていることが分かる。何も知らない初心者(入隊兵)に道具(武器)の取り扱いから機能まで理解させ、能力に拘りなく誰もが順応できる実戦トレーニング(演習)によって、有能なプレーヤー(兵士)を育成するシステムはW・テイラーの科学的管理法に基づくものと思われる。
初めて1969年版「Golf Instructor’s Guide」1975年版「Golf Coach’s Guide」を見たとき私は余りの衝撃に茫然自失した。日本には教育プログラムどころか基本もないといわれていた時代だけに、日米の格差に容易ならざるものを感じたのは無理もない。この段階で既に学校教育用テキスト「Golf Lessons」「Etiquette & Rules」「Audio Visual Aides 16mm Film 5巻」が完成されており、学校体育教師向け「Instructor’s Seminar」も開催されていた。米国NGFと契約にこぎつけ、教育プログラムの全貌を知ることができたのは1977年夏のことであるが、全米統一の教育プログラムをつくるアメリカゴルフ界の底力をマザマザと見せ付けられた思いがする。
1960年代にゴルフ場の合理化再編成を終えていた米国ゴルフ界は、70年代には教育プログラムやマネジメントプログラムや使って人材育成を進めていた。具体的には学校教育に必要な人材として高校大学の先生をゴルフインストラクターに、ゴルフ場経営に必要な人材としてプロゴルファーやマネージャーをゴルフプロフェッショナルに再教育していたのである。高校大学の先生たちはゴルフができても我流に過ぎず、能力において千差万別の生徒を合理的に指導するすべを知らなかった。プロゴルファーやマネージャーもゴルフ場経営に関して専門知識に乏しく経験や勘に頼った素人経営の域を出るものではなかった。
全米各地でNGFセミナーやPGAセミナーが開催され人材教育が行われていたが、そこには徹底した産学協同体制に基づく民間プロジェクトの姿があり国家の関与は全くない。米国NGFはメーカー企業の寄付や会費収入による独立採算によって教育プログラムやマネジメントプログラムを開発し、高校大学やPGAは教材やプログラムを購入して人材育成を行った。米国ゴルフ界は産学協同の教育投資によってプログラムを開発し、人材を育成して世界一のゴルフ大国を築き上げたが、世界をリードする米国IT産業にも同じ姿を見ることができる。
ゴルフ場・練習場・ショップ・プロなどおよそ20万人がゴルフ産業に従事していると思われるが、私も含めて日本のゴルフ産業従事者で専門教育を受けたものは殆どいないといっても良い。日本の大学にゴルフ学科は設置されていないし本格的なゴルフ専門学校も存在しない。私の知る限り米国にはフェリス州立大学を筆頭に13大学にゴルフ経営学科があり、スタンフォード大学などの名門校にもゴルフ奨学生制度がある。ちなみに日本から米国にゴルフ留学しようとすると高校卒業時にトーフルテスト600点以上・USGAハンディキャップ8.0以下の実力があり、年間800万円以上の留学費用を負担できる者に限られる。
私の周囲に三つの条件を満たせる若者はいない。昨年日本から約3万5千人の留学生が渡航したそうだが、日本の若者に内向き志向が進み留学生は年々減る一方だそうだから、もし日本のどこかに三条件を満たせる若者がいたとしても留学するかどうか分からない。これに対して中国からは昨年70万人の留学生が欧米諸国に渡ったといわれている。この中にゴルフ留学生がいたかどうか分からないが、恐らく今後増えるに違いない。中国はいまキリスト教徒が1億人以上いると同時にゴルファーも増え続けている。ゴルフがキリスト教プロテスタント文化であることを考えると、アジアにおけるゴルフ文化の中心が中国に移ることは充分考えられる。
日本には伝統文化といわれるものが数多くある。茶道・華道・武道・書道はじめ美術・工芸・演劇・文芸など数百年以上の歴史を持つものばかりだが、およそ教養文化といわれるものに教育基盤のないものはない。教養文化といわれるものは多くの知恵や技術が折り重なって人間の成長を育み、人生を豊かにしてきたものばかりだから、一過性の流行や娯楽のような爆発的な人気やブームが起こることはない反面、いろいろな時代や社会の教育の一環に取り入れられ教育基盤を成してきた。だから教育基盤そのものがなければ如何なるものも文化とはなりえないことを証明している。
日本のゴルフ産業が教育不毛地に芽生えたことは70、80年代の状況を振り返ると理解できるが、教育投資は見返りが少ないうえに時間が掛かるからなかなか投資家が現れない。投資家にしろマネーにしろ目の前にローリスク・ハイリターンの投資対象があれば迷わずそちらに目が向くのは当然で、大衆ゴルファーどころか足腰立たない爺さん婆さんまで欲に目がくらんだ当時のゴルフラッシュの凄さは千夜一夜物語に値する。私自身70年代初頭に100万円の会員権10枚を半日で売り尽くしたときの話など、ソロモン王を一晩寝かせずに聴かせるほどの面白さがある。