ゴルフ再生への道 2-03 教育不毛地に文化は育たない

ゴルフ場・練習場・ショップ・プロなどおよそ20万人がゴルフ産業に従事していると思われるが、私も含めて日本のゴルフ産業従事者で専門教育を受けたものは殆どいないといっても良い。日本の大学にゴルフ学科は設置されていないし本格的なゴルフ専門学校も存在しない。私の知る限り米国にはフェリス州立大学を筆頭に13大学にゴルフ経営学科があり、スタンフォード大学などの名門校にもゴルフ奨学生制度がある。ちなみに日本から米国にゴルフ留学しようとすると高校卒業時にトーフルテスト600点以上・USGAハンディキャップ8.0以下の実力があり、年間800万円以上の留学費用を負担できる者に限られる。

 

私の周囲に三つの条件を満たせる若者はいない。昨年日本から約3万5千人の留学生が渡航したそうだが、日本の若者に内向き志向が進み留学生は年々減る一方だそうだから、もし日本のどこかに三条件を満たせる若者がいたとしても留学するかどうか分からない。これに対して中国からは昨年70万人の留学生が欧米諸国に渡ったといわれている。この中にゴルフ留学生がいたかどうか分からないが、恐らく今後増えるに違いない。中国はいまキリスト教徒が1億人以上いると同時にゴルファーも増え続けている。ゴルフがキリスト教プロテスタント文化であることを考えると、アジアにおけるゴルフ文化の中心が中国に移ることは充分考えられる。

 

日本には伝統文化といわれるものが数多くある。茶道・華道・武道・書道はじめ美術・工芸・演劇・文芸など数百年以上の歴史を持つものばかりだが、およそ教養文化といわれるものに教育基盤のないものはない。教養文化といわれるものは多くの知恵や技術が折り重なって人間の成長を育み、人生を豊かにしてきたものばかりだから、一過性の流行や娯楽のような爆発的な人気やブームが起こることはない反面、いろいろな時代や社会の教育の一環に取り入れられ教育基盤を成してきた。だから教育基盤そのものがなければ如何なるものも文化とはなりえないことを証明している。

 

日本のゴルフ産業が教育不毛地に芽生えたことは70、80年代の状況を振り返ると理解できるが、教育投資は見返りが少ないうえに時間が掛かるからなかなか投資家が現れない。投資家にしろマネーにしろ目の前にローリスク・ハイリターンの投資対象があれば迷わずそちらに目が向くのは当然で、大衆ゴルファーどころか足腰立たない爺さん婆さんまで欲に目がくらんだ当時のゴルフラッシュの凄さは千夜一夜物語に値する。私自身70年代初頭に100万円の会員権10枚を半日で売り尽くしたときの話など、ソロモン王を一晩寝かせずに聴かせるほどの面白さがある。

 

我流の終焉

不思議なことにゴルフの世界では未だに我流が主流となっている。我流とは誰にも習わずに自分で独学自習してきたことをいうが、最近アチコチに「俺流ラーメン」とか「俺流イタリアン」などの店を見かけるようになった。我流と俺流はどう違うか、良く分からないが考えてみる。街のおじさん達がいう我流は独学自習というには少々おこがましく、せいぜい週刊誌や新聞記事を読んで覚えた「見よう見まね」と表現する方が正しい。我流は自分の技術やスイングに対して全く自信を持っていない点で共通している。わが子や友人に「教えて欲しい」と頼まれると必ず逃げるのに、奥さんにだけは厳しく伝授しようとするのも不思議な共通点だ。しかし最近の奥さんは夫に盲従することなく夫を客観視する自覚と能力を持ち合わせているから「イヤよ、そんなカッコ悪いスイング!」と情け容赦なく拒絶する。こうして我流ゴルファーは次々と孤独に追いやられ、やがて絶滅する運命にあるようだ。

 

青木功や藤田寛之、ジム・ヒューリッククラスになると立派に俺流が通用する。「真似してごらん」といわれても手も足も出ないからだ。独学自習どころか孤軍奮闘、艱難辛苦して己の技を磨いてきた達人の技は見よう見まねで学べるわけがない。杉原輝雄や樋口久子、ベンホーガンやアーノルドパーマーも同じだ。
この人たちは二度と世に現れない伝説の達人として語り継がれることはあっても、続々と二世三世が現れることはないはずだ。だから「我流は真似したくない技」、「俺流は真似のできない技」と定義することができる。日本のゴルファーのほとんどが我流で育ったとすると日本のゴルフ産業の将来は暗い。ひとり一人のゴルファーに後継者がいないことになるから、やがてゴルファーが絶滅しゴルフ産業が崩壊することになる。経済産業省が発表したゴルフ産業崩壊のシナリオは現実論となって立証されてしまうのである。

 

ではどうすればよいか。次々と二世三世が現れ後継者が増加するには、誰でも真似できる技が確立しなければならない。この誰でも真似できる技を「基本」といい「我流」や「俺流」と明確に区別している。基本は誰でも真似できる技であると同時に、修行して習熟すれば名人達人の域まで到達する技でもある。ではどのようにして基本は確立してきたのか。伝統技術を伝承することは近代社会にとって重要な課題だった。一代で終わる技術や芸術は伝説となって残ることはあっても文化や文明として残ることはない。文化の発展や文明の発達は伝統技術が祖父から親、親から子供、子供から孫に伝わって何代にも亘り伝承され多くの人に普及して実現する。英国に発祥した伝統ゴルフは欧米豪州に伝わり誰でも真似のできる正統ゴルフとして世界に普及してきた。だから我流や俺流を脱して正統ゴルフを学び、多くの人に伝えられてゴルフは発展する。