2013マスターズ

今年のマスターズもすごかった。アダム・スコット(オーストラリア)とアンヘル・カブレラ(アルゼンチン)プレーオフでの一騎打ち、復活優勝を掛けたタイガー・ウッズ(アメリカ)の不運の一打。世界のヒノキ舞台で繰り広げられる壮大なドラマは地球の裏側で観ている者にも大きな感動を与える。鮮明な映像がライブで観られるなんてウソのような話だが、情報通信革命の時代に生きていることを強く再認識させられた。ところがマスターズの興奮が冷めやらぬうちにボストンマラソンの爆破事件がライブ中継されてびっくり仰天。激動する世界の出来事を自分事のように日々見ながら、それでいて自分自身のことや身近なことはサッパリ分からない自分の存在に気が付いて、またもやびっくり仰天。私たちはグローバル世界で生きている小さなアリンコのような存在かもしれない。

 

スコットはグレッグ・ノーマンが果たせなかったオーストラリア人初のマスターズ優勝に全霊を傾けていることがありありと分かった。それに対してカブレラは4年前にロベルト・ビセンゾが果たせなかったアルゼンチン人初のマスターズ優勝を勝ち取っている。勝負はカブレラの余裕にスコットの迫力が勝ったことを証明したようだ。ウッズの復活優勝は神様とボビー・ジョーンズが相談して「まだ早いよね」ということになったに違いない。ピンに当たって池に入った一打も直後に犯した誤処プレーも、どう考えたって《Act of God;神の御業》としか説明が付かない。ウッズはペナルティで4打を失ったが、優勝するには丁度その4打が不要だった。ゴルフの世界では、特にマスターズでは最終的に神の意思によって勝負が決まると考えられている。それはどんな無神論者といえども試合の流れやゲームひとつひとつを観察すれば、随所に各プレーヤーの意思や技術を超越した現象や結果を認めざるを得ないからである。

 

マスターズ優勝者を出した国はアメリカ・イギリスはもちろん、ドイツ・スペイン・カナダ・南アフリカ・アルゼンチン・フィジーがあるが、アジア豪州にはいなかった。アダム・スコットの優勝で残るはアジア・アラブだけになった。日本人に頑張って欲しいと思うのは多くの人の思いだが、ゴルフの歴史やマスターズの伝統をもう一度学び直さないと当分無理かもしれない。藤田寛之の言葉少ない敗戦の弁はそれを語っていた。「打ちのめされました。たくさんのお土産を持って帰れます」。疲労骨折によって1ヶ月前まで練習できなかった言い訳は一言も触れず、精一杯戦った爽やかな顔で語ってくれた。「疲労骨折?、あんた歳も考えずやりすぎなんだよ!」と思わず叫びたくなる結果だが、なすべきことをなし遂げた者にして初めて語れる言葉だ。スコットを最後まで追い詰めたカブレラは藤田と同じ43歳。藤田のお土産にはマスターズで戦う秘訣や知恵が一杯詰まっているはずだから、後輩たちはウンと分けてもらうといい。私だって冥土の土産に欲しいくらいだ。

 

藤田寛之というプロ

今年度賞金王に藤田寛之(43)が輝いた。同時に世界ランキング43位をキープしてマスターズ出場権を獲得した。谷口同様、以前から注目していたアラフォー実力プロだが、ここまで来ると注目を超えて尊敬に値する。用品用具や分析機器が進化したうえ、情報が豊富になった現代は経験の乏しいスターを次々と排出する。そんな中で衰える肉体や精神をコントロールしながら経験を生かして最大限のパフォーマンスを発揮するベテランプロの味は、人生に例えられるゴルフの本質を表し、オールドファンを魅了して止まない。米国PGAツアーではフィル・ミケルソン、アーニー・エルス、ジム・ヒューリック、スティーブ・ストリッカーらがベテランプロとして上位に名を連ねる。

 

ご本人には内緒だが「よくぞあの顔であの体であのスイングで、そしてあの歳で」とびっくり仰天の連続である。藤田プロの顔はテレビや雑誌で嫌というほど見せていただいたが、お世辞にもスター性があるとはいえない。しかし弾道を追う厳しい顔、鋭い眼に妥協の余地はない。一点を見続けてきた者だけが持つ小野田少尉や杉原輝雄と同じものである。米国PGAツアーに160センチ級はほとんどいない。しかし、米国メジャートーナメントで4日間戦うには相当の技術、体力、気力が必要である。以前にPGAナショナルブラックティーでプレーしたことを書いたが、私ごとき凡プレーヤーに太刀打ちできる相手ではない。ティーショットが池を越えない、フェアウェーに届かない、ラフから2,30ヤードしか飛ばない、いくら打ってもグリーンに届かない、バンカーから容易に出ない、2パットで収まらない。七難八苦とはこのことだ。

 

私は最初、藤田プロを見てなんと不器用なスイングだろうと思ったが、注目し続けるうちに鍛え抜かれた職人の技だと思い始めた。杉原輝雄は両腕でつくられたスクウェアをトップからフィニッシュまで崩さずにスイングコネクションを保っていたが、藤田寛之は両腕でつくられたトライアングルをトップからフィニッシュまで崩さずにスイングコネクションを保っている。あのスイングをするには全身が相当鍛えられていなければ無利だ。全身のパワーが集中してボールに伝わるメカニズムは科学的に解明されていない。野球でいえば、さほどスピードはないのにホームランを打たれず、頻繁にバットを折るような重い球に近いのではないか。PGAワールドツアーは環境や気象条件の異なる世界を舞台にして試合が行われるから、どんな条件下でもコンスタントに自分のパフォーマンスを発揮しなければ勝負にならない。そのうえ言い訳は一切通用しない。

 

一般にスポーツ選手は社会行動には不器用だが身体運動には器用な人が多い。特にプロスポーツ選手は動きそのものに器用さや華麗さがあり「動けば即技」を感じさせるが、藤田寛之にはそれがない。アマチュア名手でクラブデザイナーの竹林隆光さんの師匠が「本物のゴルファーは普段決してゴルファーに見えないものだ」といわれたそうだが、その意味からすれば藤田寛之というプロは本物のプロに違いない。どんな不器用そうな動きも、鍛え抜かれた正確な反復再現性があれば、それは素人を寄せ付けないプロの技であり芸術ですらあるからだ。改めて来年は藤田寛之というプロをじっくりと鑑賞させてもらおう。

 

祈って優勝したババ・ワトソン

PGA ツアーのメジャートーナメントに優勝することは並大抵なことではない。メジャートーナメントとは全英オープン・全米オープン・全米プロそれにマスターズの四試合をさすが、中でもマスターズは特別な目で見られている。マスターズ創設者ボビー・ジョーンズは史上最強のアマチュアゴルファーで、28歳のとき当時四大試合だった全英アマ・全米アマ・全英オープン・全米オープンに優勝して年間グランドスラマーを達成するや、間もなく引退してしまった。引退して弁護士業を営むかたわら、コース設計家アリスター・マッケンジーとともにオーガスタナショナルを建設し、1934年世界のゴルフマスター達を招いてトーナメントを開催した。この試合が第一回マスターズとなり、その後毎年同じオーガスタナショナルで開催されている

 

四大メジャートーナメントの中でも何故マスターズだけが特別なのかというと、ボビージョーンズは敬虔なクリスチャンとして知られ、キリスト教文化であるゴルフの良き伝道者として尊敬されていたからだ。そのために彼は「球聖」とか「ゴルフ伝道師」といわれるようになったようだが、彼の思想や哲学がマスターズの伝統となり、ますます商業化していく現代ゴルフに警鐘を鳴らし歯止めをかける役割を担っているからでもあるようだ。世界のハスラー達が莫大な懸賞金を目当てに血眼になっている賭博場の舞台裏では、神聖なるゴルフの伝統思想など忘れられてもおかしくない。そのような時代にあってマスターズとライダーカップだけが神聖なる伝統思想を守ろうとしている。

 

マスターズ最終日の朝、ババ・ワトソンはツイッターで聖書の言葉を呟いていた。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全てのことに感謝しなさい。」
最終日の大逆転劇は、神が彼の祈りに応えたものと多くの人が受け止めたが、最も驚き感動したのは本人自身だったことは間違いない。それでなければ優勝経験もありベテランの域に達したワトソンが、人前であんなに大泣きするはずがないし、ギャラリー全員がいつまでもスタンディングオベーションで祝福するはずがない。トップに追いついた連続バーディーも神がかりだが、勝負を決めたプレーオフ2ホール目の林の中から打ったセカンドショットは、まさに奇跡としか表現のしようがない。観ている者全てが第一打ティーショットで勝負は決まったと思ったはずだが、本人だけは祈りが聞かれることを信じて疑わなかったに違いない。マスターズ創設者の球聖ボビージョーンズが、試合の前の晩は早く寝室に入り聖書を読んで祈っていたことを、ワトソンはもとよりマスターズファンの多くが知っていたからである。

 

日の丸背負って

東日本大震災から1ヶ月経たないうちにマスターズが始った。日本から4人のサムライが出場したが、そのうちの一人松山英樹は被災地仙台から出場したアマチュア選手である。日本はもう大津波で沈没してしまうのではないかと世界中が心配する中で、世界のゴルフ祭典「ザ・マスターズ」に、しかも被災地からアマチュア選手が出場したわけだから、私たち日本人にとってもほろ苦い喜びである。日本選手の帽子に「がんばれ日本!」のワッペンが付いているのは痛々しい感じすらしたが、地球の表と裏でこうも状況が違うものかと世界の大きさを感じさせられた。

 

ゴルフは典型的な個人競技でありながら、ワールドトーナメントではひとり一人が国旗を背負って出場している。英国にいたっては英国旗を背負わずスコットランド、イングランド、ウェールズ、北アイルランドの王国旗を背負ってる。国の名誉を背負って出場するものにとって、自己実現より責任負担の方が遥かに重いだろう。世界中から「がんばれ日本!」のエールを送られてプレッシャーを感じない方がおかしいが、今回の「がんばれ」の意味合いは普段と大分違う。不幸や悲しみに負けるなという意味で多くの同情が含まれているから、Vサインで応えるわけにはいかない。軽く帽子に手を添えて会釈するくらいしかできないが、不幸や悲しみを背負っているものの頑張りには胸に熱いものを感じる。日本から出場した若者に多くの人が抱いた共通感情だろう。

 

まだ10代という若者二人を、マスターズ決勝ラウンドに送り込んだ日本のゴルフ界は前途洋々に思えるかもしれないが、実際は暗雲が垂れ込めている。バブル崩壊から20年、未曾有の破綻劇を繰り返し、10兆円近い損失と200万人近いゴルフ難民を生んだとされるが、3月11日の震災で更なる地盤沈下をしたと思われるからである。しかしゴルフには強い生命力があって、ゴルフ場は何度倒産しても経営者を取り替えて復活してくる。今度こそ本物の経営をして年金生活者や失業者、お金の無い若者やジュニアがゴルフの夢を追いかけられる舞台を提供して欲しい。東京都の「若洲ゴルフリンクス」など世界に恥ずべき公営ゴルフ場といえるが、若洲ゴルフリンクスが国際標準料金になったときが日本のゴルフが民主化したときといえる。石原知事はゴルフの文化性や教育性を良く理解されている人だから、東京から日本を変える政策によって、日本のゴルフに夜明けがやってくるかもしれない。日の丸背負って世界に飛び立っていく若者達が機内から若洲ゴルフリンクスに手を振るときが早く来て欲しい。

 

成長著しい韓国プロ

2010年マスターズで韓国勢の活躍は素晴らしかった。アンソニー・キムは米国籍ではあるが、彼も含めると上位10名中3名が韓国人だった。彼らは強いだけでなくプレーマナーの良いことと、常に堂々としていることに感心させられる。彼らは何処で何を学んであのようなプロになったのか興味は尽きないが、K.J.チョイなどは敬虔なクリスチャンで、ボビー・ジョーンズと同じように常に「祈りの人」であることは良く知られている。そのK.J.チョイが米国中から集中砲火をあびた手負いの虎・タイガー・ウッズを四日間にわたり影武者のように支えた姿は、まさに「騎士道精神」を感じさせる美談としてマスターズ史に残るのではないか。

 

偶然か神の哀れみか、傷だらけのタイガーは米国ツアーでも屈指の人格者といわれるK.J.チョイと四日間プレーできてよかった。予選二日間は委員会の配慮があったとしても、決勝ラウンドは成績順に組み合わせが決まるから、よほど実力があるか神の意志が働かない限りありえないことだ。三日目が終ったとき、最終日もK.J.チョイと回ることが決まって、タイガーは本当に嬉しそうな顔で握手を求めていたが、表情は孤立するタイガーの心境を表わしているようにもみえた。PGAツアーは何といっても未だ白人中心社会であるから、アジア・アフリカの混血タイガー・ウッズに対する風当たりは相当強いはずである。同じアジア人のK.J.チョイが、タイガーの風除けのようにして堂々とプレーする姿と毅然とした態度は、まるで風神・雷神のようにも見えて頼もしくも思えた。

 

ミケルソンに対する万雷の拍手とスタンディングオベーションはマスターズという舞台にふさわしいものだった。ウッズに対する冷静な拍手はマスターズの歴史と伝統に支えられる品格を感じさせるものだった。K.J.チョイはサンデーバックナインに入って優勝するかもしれない勢いを見せたときには少し注目されかけたが、多くはウッズの脇役として時々画面に映る程度だった。今回のマスターズでK.J.チョイが果たした役割をどれだけの人が評価したか分からないが、彼に絶大な拍手を贈り心から感謝したのはタイガー・ウッズではなかったかという気がしてならない。もし映画祭のように助演賞が与えられるとすればK.J.チョイが最有力候補になるだろうが、一見スキャンダルに汚されそうになった2010年マスターズも、例年に負けない内容のトーナメントとして幕を閉じた。21世紀はアジアの時代といわれているが、今後アジア太平洋ツアーを支えるのは日本のプロではなく、韓国のプロに違いないという印章を強く受けたのは、私一人ではなかったかもしれない。

 

ミケルソン優勝の意味

2010年度マスターズはフィル・ミケルソンが16アンダーで優勝したが、今年のマスターズはむしろゴルフ以外の面で大きな関心が寄せられていた。
今年になってタイガー・ウッズの不倫問題が発覚し、大変なスキャンダルとなって世界中大騒ぎとなり、しまいにゲームソフトまで売り出される始末。たまりかねたウッズはマスターズまで全試合を休まざるを得なかったことは、ゴルフをしない女子供でも知っていた。ゴルフ帝王タイガー・ウッズのスキャンダルは米国大統領クリントンのとき以上に大騒ぎだったかもしれない。

 

一方フィル・ミケルソンは典型的な白人プロテスタントで、真面目なうえ家族を大切にすることで知られている。奥さんがガンと闘っており、昨年からピンクリボンをつけて試合に出ていたが、多くのプロ仲間もピンクリボンをつけて奥さんの回復を祈ってくれていた。アメリカゴルフ界の多くの白人たちは、黒人タイガー・ウッズに王座を奪われて、白人ミケルソンに何とか王座を奪い返して欲しいと思っていたはずだ。ウッズとミケルソンは米国でも人気を二分するライバル同士のうえ黒人と白人、不品行と品行方正、仏教徒とキリスト教徒という具合に余りにも対照的だから本人同士以上に周囲の関心が高まったのは無理のないことといえる。

 

アメリカの白人社会、特にプロテスタント社会にとって、ゴルフは聖地セントアンドリュウスから伝わる神聖なるゲームであるがゆえに、異教徒や異民族に汚されることは不愉快千万なことなのだ。モンゴル人朝青龍に日本の伝統思想や横綱の名誉が汚されたとして大騒ぎした日本と同じ問題と考えられる。米国によらず世界がグローバル化して、異教徒や異民族が同じ社会で生きてかなければならなくなると、こうした問題が次々起こり対応を誤れば紛争や戦争に発展しかねない。

 

マスターズが始るまでは試合の途中何かハプニングが起きやしないか心配する人も多かったが、知る限り何事もなかったようだし、マスターズではパトロンと呼ばれる観客も素晴らしいマナーで試合を盛り上げていた。ミケルソンはもちろんウッズにも惜しげない拍手を贈り、ウッズ自身「私を温かく迎えてくれたパトロンの皆さんに感謝します。」と語っていた。ミケルソンが優勝して安堵した人も多いだろうが、本当は一番安堵したのは優勝できなくても無事復帰できたタイガー・ウッズ自身だったに違いない。