「学問に王道なし」という言葉があるが、ゴルフにも秘訣はない。米国のトップコーチ達が繰り返し言うことは「基本の反復練習」である。だったら基本の反復練習が秘訣と言うことになるのではないか。これでほとんどの人が「なーんだ」といってがっかりする。がっかりした人の中に名人や達人はひとりもいない。「そうか」と言って基本の反復練習を始める人は名人や達人の証拠だ。
いまタイガー・ウッズと石川遼は毎日「基本の反復練習」をしているらしいが、それを聞いただけで彼らが一級のプレーヤーであり本物のアスリートであることが分かる。なぜなら簡単なようで私たち凡プレーヤーには絶対できないことを根気良くやっているからである。
「基本とは何か」という課題は永いあいだ大問題だった。基本が秘訣ならその秘訣は何か、その秘訣は基本だという堂々巡りを繰り返すことになるからだ。その大問題に取り組んだのがNGF(National Golf Foundation)である。1960年代に米国の著名な大学教授やコーチ、女子プロがNGFに集結してNGF教育開発プロジェクトが編成され、ゴルフを学校教育に導入するために基本を統一し、生徒用基本テキスト、インストラクターズマニュアル、コーチズガイド、視聴覚教材を制作した。米国の多くの現役プロがこの統一基本によってゴルフを学んだが、米国のプロがジャック・ニクラウス以降みな同じようなスイングに見えるのは基本が同じだからである。
ではその基本はどのようにして定められたかというと、近代ゴルフを確立したベン・ホーガン、バイロン・ネルソン、サム・スニードに代表される戦後のトッププレーヤーたちのスイングに共通する点を検証し、その共通点から誰でも学べる要因を体系的に組み合わせたのである。この手法は米国を工業生産王国に発展させた生産性革命の生みの親、ウィンスロー・テイラーの『科学的管理法』に基づいている。テイラーは熟練工の技を徹底分析し、熟練工に共通する点を一定のトレーニングで誰でも修得できる学習体系としてシステム化した。ドイツ人カール・ベンツは最初の自動車考案者だが、熟練工の技によってクルマをつくろうとした。これに対してアメリカ人ヘンリー・フォードは科学的管理法によって職工を短期養成し、大量生産システムを導入して自動車王国を築いた。
テイラーの科学的管理法はアメリカの伝統ワザとしてゴルフ教育にも導入されたが、米国PGAツアーを観ていると次から次へと有望新人が生産されてくるシステムが理解できる。生産工場は数多くのカレッジであるが、スタンフォード大学のような超名門校がトム・ワトソンやタイガー・ウッズなどのトッププレーヤーを送り出す姿に、米国ゴルフ界の奥の深さと教育システムの凄さをあらためて考えさせられる。同時に基本トレーニングが秘訣という意味も良く解る。
池田勇太が強くなってきた。強くなったばかりかアンちゃん風だった勇太に王者の風格が出てきた。人が地位をつくるのか、地位が人をつくるのか分からないがとにかく成長した。テレビに映る姿を見て日に日に惹かれていく。あの独特なスイングも魅力的に見えてくるだろう。
池田勇太のスイングは何処で身につけたか知らないが、米国ではジム・ヒューリック、日本では青木功と同系統である。かつて河野高明や草壁政治が採用していた通称「逆八スイング」といわれるスイング系統である。ビギナーやアベレージゴルファーにはインサイドに引いてアウトサイドに下ろしてくる「八の字スイング」が多いが、これは後ろからスイングプレーンを見ると八の字を描いているように見えるため、このように名付けられた経緯がある。これとは反対に「逆八スイング」はストレートに引いてインサイドに下ろしてくるから八の字が反対に描かれて逆八という訳だ。
30年ほど前、青木功が世界的プレーヤーになりだした頃、米国コロンビアカントリークラブのコーチで全米第一人者といわれたビル・ストラスバーグが「青木功こそ理想のスイング」と絶賛した。当時NGFアメリカセミナーの主任講師だったビルを日本にも招聘して東京・京都・大阪でセミナーを開いたが、200人以上受講して誰もこのスイングをマスターできなかった。ビルの言葉を借りれば「クラブを真直ぐ上げて、右脇を絞めるように引き下ろし、また上げる」と簡単にいうのだが、誰も巧くできなかった。セミナーに集まったトッププレーヤーたちはビルの講義を聴きスイングを見て「玄人芸」と絶賛したのだが。
ということは青木功も池田勇太も黒光りした玄人芸なのである。人知れず数限りない球を打ち続け、百戦練磨して磨き上げた達人名人のワザである。素人が簡単に盗んだり真似のできる芸ではない。恐らく本人も自分の技を伝えられるとは思っていないはずだ。「名選手必ずしも名コーチならず」の例えどおり、絶対といってよいほど名人芸は伝授できるものではない。子供は器用だから結構上手にスイングを真似するだろうが、経験や体験は最終的に真似したりバーチャルトレーニングによって身に付くものではない。
基本とは名人や達人に共通する原則を導き出し、その中から誰でも真似のできる普遍技術を体系的に整理したものである。だから基本はつまらなく退屈である。こんなこと猿でも真似できると思うことばかりだ。その基本をタイガー・ウッズも石川遼も毎日コツコツ練習しているという。これはまさに凄業だ。
「何事も基本が大切」という言葉は頻繁に聞く割に、実際は結構おろそかにされているようだ。あのタイガー・ウッズですら、今は基本に戻ってスイング形成やパッティングドリルをやり直しているというし、石川遼も試合のあと「もう一度基本を徹底的にやります」とよく言っている。世界一や日本一を誇るトッププレーヤーといえども、基本のうえに高等技術が形成されていることを証明しているようだが、その土台となっている基本とは何かとなると、多くの人が沈黙してしまう。実は、ゴルフの基本は1970年代以降に確立したもので、それ以前にゴルフの基本はなかった。「えっ!ウソ」という人は比較的若い世代で、「ほんとだよ」という人は間違いなく中高年世代のはず。
1960年代に米国ゴルフ界は学校体育授業にゴルフを導入するためNGFの開発プロジェクトチームの手によって教育プログラムが開発されていた。学校教育に導入するには、どんな生徒にも当てはまる基本を確立しなければならない。
NGFコンサルタントといわれる大学コーチやPGAプロによって編成されたプロジェクトチームは、数年の歳月をかけてNGF教育プログラムを完成させた。いわば講道館の嘉納治五郎が柔道の基本を確立した話に似ている。米国の若手中堅プロは殆んど基本教育プログラムによって育ってきた。米国で育った選手のゴルフは生体物理原則に則ったワンスイング・スクウェアシステムから飛球法則に従った9種弾道を自在に打ち分けるスタイルなのですぐ分かる。
9月第三週、札幌で開催されたANAオープンの最終ラウンド池田勇太と韓国K.J.チョイの一騎打はとてもおもしろかった。池田勇太は日本の強者達に育てられた職人芸。K.J.チョイは米国で育った基本ゴルフ。「何としても勝ちたい」という思いはほぼ互角のようだがスタイルの違う両者が一歩も譲らないまま、とうとう18番最終パットまで決着がつかないという手に汗握る真剣勝負となった。K.J.チョイは厳しい米国ツアーを戦ってきた若手国際選手だし、池田勇太は日本が期待する若手ホープだ。本人もギャラリーも池田勇太に優勝させたい一心が勝負を決した感があるが、米国ツアーで鍛えられたマシーンのように正確なショットと冷静なマネジメントゴルフに、池田勇太がじりじりと追い詰められていることは誰の目にも分かった。K.J.チョイが18番、計測したようなセカンドショットをバーディーチャンスにつけて、池田勇太は喉元に刃物を突きつけられたような恐怖感を味わったはずだ。K.J.チョイがバーディパットを外したために、池田勇太は冷静さをとり戻して優勝できたが、優勝パットを決めた瞬間に勇太の目から溢れ出した涙が全てを物語っていた。プレーオフになったら限界まで追い詰められた池田勇太に勝ち目はなかったはずで、イヤというほど基本の恐ろしさを知った彼は、この優勝できっと大きく成長するに違いない。