オープンクラブ構想

米国を始め欧米諸国には近所のオジサン・オバサン・子供たちが集まってつくった小さなゴルフ同好会が多数ある。その同好会のほとんどがゴルフ協会加盟の公認クラブで、クラブキャプテンがいてクラブ規約があり、公認ハンディが発行され月例競技が行われている。公営ゴルフ場なら$10前後、私営でも$20前後でプレーできるゴルフコースが近所にいくらでもあるから、便利なコースを使って思い思いにクラブ活動をしている。年金生活者、失業者、学生にとって最も金のかからない遊びがゴルフなのだ。セントアンドリュウスも公営だし安いから、ここをフランチャイズにクラブ活動をしている同好クラブが無数にあるらしい。

 

日本ではこういかない。高額会員権を買うか、100キロ先の山奥クラブ会員になるしか手がない。仲間とクラブやサークルをつくっても全員が同じゴルフ場の会員権を買わなければ公認クラブといえないし、公認ハンディキャップも発行できない。会員権を持っている人でも、家族や仲間を誘えば高額ビジター料金を請求されるから練習試合もできない。結局はいつまでたっても親しい仲間とクラブを結成し試合をすることは夢なのである。私も年をとったら家族や友人とクラブを結成し、ゴルフ談議や真剣勝負に明け暮れる日々を過ごせたらと密かに夢を抱いていた。どうやら夢に終わりそうで半ば諦めかけていたが、最近ひょっとすると現実になるかもしれないという気がしてきた。

 

かたくなに変わろうとしなかった日本の社会が、一気に変わろうとする気配が感じられる。官主導が民主導に、中央集権が地方分権に、資本優先が福祉優先に、日本固有の有料道路が世界標準の無料に。保守的なゴルフ界すら若者によって変わらざるを得なくなってきた。預託会員権と接待ゴルフの経営システムが根底から崩れてしまった。国際社会に疎い日本人も、もうそろそろ何が変なのか気が付くに違いない。世界のゴルフ料金は公営も私営も日本の1/10であることに。欧米では大統領も総理大臣もセルフプレーであることに。スポーツ組織や団体は官僚機構の統制管理下にないことに。同好クラブの結成も活動も私たちの自由な意思と規律に委ねられていることに。このようなことに気付いた人達が住む社会を自由民主社会といい、決して国家統制社会とはいわない。だから悪夢が夢になり、夢が現実になるような気がしてきた。

 

新世代ゴルフが始まった

Time and tide wait for no man.-歳月人を待たず-
受験時代18歳の頃に覚えた英語が突如として脳裏に甦ってきた。バブル崩壊から18年、奇しくも18歳の少年が日本のゴルフを変えようとしている。低迷する日本のゴルフ界を変革することも再生することもできない私たちを憐れんで、天は待ちきれずに若者を与えられた。若者は世界に飛び出して、直接肌で世界のゴルフを感じ取っているが、新世代が感じ取った世界のゴルフとはどのようなものか。ゴルフの理想を求めて変革しイノベーションを起こしてきたゴルフユートピアとはどんな世界か。

 

「ユートピア」は16世紀初頭イギリス人トーマスモアによって書かれたおとぎの国の名だが、モアは権力や権威、身分や財産に支配されない清貧にして幸福な理想国家の姿を夢見た学者であり政治家だった。モアの目にヨーロッパ諸国は理想と程遠く、モア自身も権力を恐れてラテン語でこの本を書いたくらいだ。この頃ゴルフは国王や貴族達によって盛んに行なわれていたようだが、恐らくゴルフの世界もユートピアとは隔絶していたに違いない。モアがゴルフをしたかどうか知らないが、モアがゴルフユートピアを描いていたら国王の逆鱗に触れることもなく、ギロチンにかけられずに済んだかもしれない。

 

あれから500年の歳月が経ったゴルフの世界は男も女も、子供も年寄も、金持も貧乏も、大臣も失業者もゴルフをこころから楽しんでいる。ゴルフをするのに身分も服装も所持金も問われないから、大臣が普段着でゴルフ場に出かけて失業者や年金生活者とゴルフをしながら、最近の社会情勢を取材すればよいではないか。誰も大臣が接待ゴルフをしていると思わないし、フォーカスされる心配もない。ゴルファーはみな紳士だから礼儀もわきまえているし嘘もつかない。大臣が心配することは、自分自身が本当のゴルファーか彼らに観察されていることだ。ルールやスコアをごまかし、エチケットもわきまえないゴルファーなら地位身分に関係なく人間として失格の烙印が押される。トーマスモアが生きていたら「これこそ私が描いたユートピアだ!」と叫んだに違いない。
日本を飛び出した若者は、ゴルフユートピアを見てきただろうか。ゴルフマインドやジェントルマンシップを学んできただろうか。天は若者によって本当に日本のゴルフを変えてくださるだろうか。