世界統一されたハンディキャップシステム

ゴルファーなら大概「ハンディキャップ」という言葉は知っているが、実際に持っている人や正しく使っている人は案外少ない。コンペに参加した経験があっても、ほとんどが新ペリア方式という競技終了後に逆算する「くじ引きハンディキャップシステム」だから優勝者も実力で優勝した実感がない。優勝して感想を聞かれると「パートナーとハンディキャップに恵まれまして・・」と妙な挨拶をするが、それが優勝者の偽らざる実感だ。そのハンディキャップシステムが2014年1月からUSGAシステムに統一されることになったが、世界はとっくの昔に1998年からUSGAとR&Aの決定に従ってゴルフ規則同様に世界統一基準になっていたのだ。日本だけが例によって諸般の事情により統一基準を導入できなかったが、2014年日本で開催される世界アマ、2016年リオで開催されるオリンピックを前にいよいよ世界統一基準を導入することになった。

世界統一基準になったUSGAシステムというのは受験偏差値に大変似た制度で、受験校に相当するコースに 55 から 155 までの Slope Rate(難度)を査定し、受験生に相当するプレーヤーに +3.5 から 40.4 までの Handicap Index (技量)を査定するシステムになっている。USGAシステムによれば、ひとりのプレーヤーが SR 90 のコースでプレーした場合と、SR 130 のコースでプレーした場合では同じスコアでも評価は全く異なる。どちらのコースもボギーペース 90 で回ったとすれば SR 90 のコースは 100X113/90=125.5 と評価され、SR 130 のコースは 100X113/130=86.9 と評価される。113 はUSGAの定める一般プレーヤーの標準難度を指しており、実際に査定するときは更に上級者用の難度基準 Course Rate も加重してHandicap Index算出の根拠にする。

私たち日本のゴルファーはハンディキャップがないことに慣れてしまったから今さら世界統一基準を導入すると言われてもピンとこない。でもゴルフが巧そうな人を「あの人はシングルだ」といって崇拝しているのは事実で、実際に根拠を聞いてみると「ドライバーを250ヤードも飛ばすから」という理由によるのはびっくり仰天だ。それを裏付けるようにゴルフ雑誌はどれも「飛ばしの秘訣」を書き並べ、クラブやボールの広告はどれも「脅威の飛び」を宣伝している。実際のところ多くのゴルファーにとって飛ばすことが命で、ハンディキャップなどどうでも良さそうだが、それでは世界アマやオリンピック開催国としていささか寂しいし、日本人を正統ゴルファー・国際ゴルファーとはお世辞にも言えない。あらゆるスポーツゲームの中でゴルフだけがハンディキャップ概念を持ち、老若男女が技量に拘りなく同等勝負できる舞台をつくり名実共に生涯スポーツやファミリースポーツを具体化した。東京オリンピック開催までになんとか日本のゴルフやゴルファーが世界から評価されるようにしたいものだ。

 

インデックスとスロープレート

従来ハンディキャップはクラブ内でのランキングを示す表象として各クラブの裁定に委ねられてきた。クラブでは地位や名誉を表彰する代名詞にもなっていたから、東京倶楽部と田舎クラブでは同じハンディキャップでも地位や力に差があるとされた。では東京倶楽部HP18の人がぺブルビーチ・スパイグラスヒルやサンディエゴ・トーリーパインを90前後で回れるかといえば100%無理。両コースともパブリックコースじゃないかと思うが、100以内で回れたら最高のできと思わなければならない。では「ハンディキャップってナンなんだ」という疑問が湧くが、私たちが認識しているハンディキャップとは、クラブ内だけで通用するランキングに過ぎない。では「JGA公認ハンディキャップってナンなんだ」といえば、日本国内だけで通用するランキングということになる。では「世界に通用するランキングがあるのか」というと、ハンディキャップ・インデックス-Handicap Index-となる。

 

これは1998年6月から定められた世界共通のグローバルスタンダードで私たち日本人だけが知らない。10年ほど前、ヨーロッパアマチュアチャンピオンになった男に「極東の島国に住む小人達にハンディキャップ文化は理解できまい」と馬鹿にされて、ニューヨークまで喧嘩しに行ったことがあるが、今思えばこちらが田舎ザムライだった。日本の若ザムライたちが米国に渡って、どんな悔しい思いをしているか想像しただけで断腸の思いだが、残念ながら勉強する以外に手はない。勉強し大和魂を鍛えて礼儀正しく基準に従って闘うことだ。日本人の英語ベタは最早グローバルスタンダードとして世界に通用するから、ヘラヘラすることなく寡黙なサムライを通せば良いし、騎士道ゴルファーは武士道ゴルファーを尊敬しているから、黙ってインデックスを示すだけでよい。

 

インデックスとはプレーヤーの実力を示す国際偏差値のことだから、インデックスを証明できなければノンゴルファーと思われても仕方がない。ゴルフはゴルファーとコースの闘いだから、ゴルファーの実力が分からないとコースは相手をして良いものかどうか困惑する。柔道場や剣道場で挑戦者の段位が分からなければ誰が相手をするか困惑するだろう。挑戦を受けるコースも実力を示す55から155までの段位を用意して待っている。これがスロープレートだ。コースは4箇所か5箇所の異なるスロープのティーを用意している。例えばブラック146、ブルー135、ホワイト124、グリーン113、レッド102というように。113は標準的難度を表わし数が大きくなるほど難しくなる。インデックス18.0ならホワイトは少々手強いが、グリーンティーは良いお相手となる。

 

ハンディキャップ・インデックス

階級意識の強い土佐藩を脱藩して江戸に出てきた坂本竜馬は、見るもの聞くこと全てにビックリ仰天したはずだ。とりわけ竜馬が腰を抜かしたのは、勝海舟に地球儀を見せられ、日本の裏側にあって土佐の百倍もあろうかと思われるアメリカ国では民が殿を選び、殿は奴隷のことまで心配していると聞かされたときだろう。封建制度を常識として生きてきた竜馬にとって、デモクラシーなどという概念は想像の域を超えて理解し難いことだったに違いない。恐らく知恵熱にうなされる日々が続いたと思われるが、竜馬はこの日から自分のことなど考えない本当のサムライに生まれ変わった。竜馬が変えられ、日本が変えられようとした頃を私たちは幕末維新の時代と呼んでいる。

 

20世紀末1970年代にアメリカではゴルフイノベーション(変革)が起きていた。<ゴルファーのゴルファーによるゴルファーのためのゴルフ>にしようという変革である。アメリカゴルフ界といえども階級社会や差別意識が長く続き、今でも一部に根強く残っていて宗教・人種・職業が違えば会員になることもプレーすることも許されないプライベートコースが多くある。「えっ!アメリカってそんな遅れた国か」と思う私たちは、竜馬同様デモクラシーの意味がまだ本当には解っていないのだろう。「人は全て神の下に平等」というデモクラシーの根本理念が解っていたのは「天は人の上に人を創らず人の下に人を創らず」といって「学問のすすめ」を書いた福沢諭吉くらいなのかもしれない。宗教・教育・職業選択の自由が保障される反面、価値観を同じくするもの同士が結束したり結社する自由も保障されている。それ自体不平等でも差別でもなく、全ての人に平等に与えられている権利だからである。

 

アメリカのプライベートコースは4500弱、コースメンバーは180万人程度と思われるから全ゴルファーの6.5%程度に過ぎない。90%以上は所属コースを持たないパブリックゴルファーだ。2500万人ほどのパブリックゴルファーが12000ほどのパブリックコースで自由にゴルフを楽しんでいるのがアメリカゴルフ界ということになる。パブリックコースはハンディキャップ・インデックスを持っていれば誰でも$20前後でプレーできる。ハンディキャップはゴルファー証明でありインデックスは技量偏差値を意味するから、18ホールをまともにプレーできるプレーヤー証明書ということになる。その反面、大臣・著名人といえどもインデックスを持っていなければゴルフプレーヤーとはみなされず、パブリックコースのフロントでは地位身分に関係なく、皆に迷惑を掛けるという理由で即座にプレーを断られる。これがデモクラシー社会の掟だ

 

新世紀のゴルフ

18歳の若者はゴルフユートピアで何を見たか。ビックリ仰天の連続に腰を抜かしたか、自分の無知に気付いて飛び上がったに違いない。アジアの文明国で育った礼儀も知性も備えた勇敢な若ザムライは、英語だって解るし経験も積んでいるのに、なぜ世界の事情が分らないのか。

 

「君のHandicap Indexいくつ?」と聞かれ、馬鹿言うなプロにハンディキャップがある訳ないじゃないか。「ハンディキャップではなくインデックス。インデックスがないとゴルフできないでしょう?」。何言ってんだろう、この人たち。
「スタートにConversion Tableが掛けてあるからSlope Rate見てしっかりCourse Managementしないとゴルフにならないヨ」。言ってることが全然わからない。スタート小屋の前に行ってみると、オジサンやオバサンが壁に掛けてある表を見てスコアカードに何やら書き込んでいる。若者を見て人なつこく笑って「あなたのインデックスおいくつ?」。また同じ事を聞かれる。チクショウ英語が分るのに何故何を言っているのか分らないのだろう。優しそうなオバサンはきょとんとしている若者に「あら、あなたまだゴルフ始めたばかりなのね。このコースはスロープが高いからホワイトでプレーした方が楽よ。」と言って自分もホワイトティーから軽やかなスイングでフェアウェイセンターにボールを打つと、カートに乗り手を振りながら行ってしまった。俺をナニサマと心得る。

 

そう、コースにいるのはみんな良きゴルフ仲間で何様は一人もいない。オバマもクリントンもミケルソンもゴルフ場ではみんな良きゴルフ仲間だ。誰と一緒にプレーしようと、ひとり一人がコースハンディキャップを貰ってコースと真剣勝負をしている。誰もがセルフプレーだから、しっかりコースマネジメントをしないと本当にゴルフにならない。コースがタフでお互いに励まし助け合うから、一回一緒にプレーすれば戦友のように仲良くなる。クラブハウスに戻っても「あの時ローピッチの方が良かったかな」「イヤ君のマネジメントは正しい。ロビングでなければ奥が池だからリスキーだよ」「あのホールは僕のハンディキャップホールだから攻めても良かったんじゃないかな」「でもスロープレートが高いからハンディキャップホールを安全にプレーした君のマネジメントは正しかったと思うヨ」。普通のゴルファーが$1コーヒーを飲みながら、難しいことを楽しそうに話し合っている。21世紀に入って世界中がマネジメントゴルフを始めたが、日本のゴルファーだけ蚊帳の外に取り残された。極東の島国に住む日本人は、世界のグローバルスタンダードを知らずに井の中に安住している。ユートピアで若者が味わった驚きは、きっと大きな成長の糧になったはずだ。

 

オープンクラブ構想

米国を始め欧米諸国には近所のオジサン・オバサン・子供たちが集まってつくった小さなゴルフ同好会が多数ある。その同好会のほとんどがゴルフ協会加盟の公認クラブで、クラブキャプテンがいてクラブ規約があり、公認ハンディが発行され月例競技が行われている。公営ゴルフ場なら$10前後、私営でも$20前後でプレーできるゴルフコースが近所にいくらでもあるから、便利なコースを使って思い思いにクラブ活動をしている。年金生活者、失業者、学生にとって最も金のかからない遊びがゴルフなのだ。セントアンドリュウスも公営だし安いから、ここをフランチャイズにクラブ活動をしている同好クラブが無数にあるらしい。

 

日本ではこういかない。高額会員権を買うか、100キロ先の山奥クラブ会員になるしか手がない。仲間とクラブやサークルをつくっても全員が同じゴルフ場の会員権を買わなければ公認クラブといえないし、公認ハンディキャップも発行できない。会員権を持っている人でも、家族や仲間を誘えば高額ビジター料金を請求されるから練習試合もできない。結局はいつまでたっても親しい仲間とクラブを結成し試合をすることは夢なのである。私も年をとったら家族や友人とクラブを結成し、ゴルフ談議や真剣勝負に明け暮れる日々を過ごせたらと密かに夢を抱いていた。どうやら夢に終わりそうで半ば諦めかけていたが、最近ひょっとすると現実になるかもしれないという気がしてきた。

 

かたくなに変わろうとしなかった日本の社会が、一気に変わろうとする気配が感じられる。官主導が民主導に、中央集権が地方分権に、資本優先が福祉優先に、日本固有の有料道路が世界標準の無料に。保守的なゴルフ界すら若者によって変わらざるを得なくなってきた。預託会員権と接待ゴルフの経営システムが根底から崩れてしまった。国際社会に疎い日本人も、もうそろそろ何が変なのか気が付くに違いない。世界のゴルフ料金は公営も私営も日本の1/10であることに。欧米では大統領も総理大臣もセルフプレーであることに。スポーツ組織や団体は官僚機構の統制管理下にないことに。同好クラブの結成も活動も私たちの自由な意思と規律に委ねられていることに。このようなことに気付いた人達が住む社会を自由民主社会といい、決して国家統制社会とはいわない。だから悪夢が夢になり、夢が現実になるような気がしてきた。