アジアの王者

5月第二週に行われたメジャートーナメント「ザ・プレーヤーズ・チャンピオンシップ」で、韓国プロ K.J.チョイがプレーオフを制して優勝した。この優勝には深い意味があったように思う。
昨年四月、私生活上のスキャンダルでボコボコにされたタイガー・ウッズが、再起を図って「マスターズ」に出場したとき、ウッズに失望したファンや反感を持つ白人たちが、ヤジを飛ばして試合を妨害するのではないかと懸念されていた。そんな心配がある中で、マスターズ運営委員会はウッズの同伴プレーヤーにK.J.チョイを選んだことは実に賢明な策だった。K.J.チョイといえば米国PGAツアーの中でも屈指の人格者といわれる韓国ベテランプロだ。このブログでも書いたとおり、当時は傷だらけの王者タイガー・ウッズと一緒にプレーするのは誰もが嫌がった。そんな中で一緒にプレーすることになったK.J.チョイは、タイガー・ウッズの守護神の如き形相で寄り添い、四日間ウッズを守り通した。この功績に感謝したのはウッズ自身と運営委員会だけだったかもしれないが、間違いなくゴルフ史に残る功績を残したに違いない。このとき私は「この男こそアジアの帝王にふさわしい」と思った。
K.J.チョイは風貌体格共にアジアの代表といえる。がっちりした四角い身体と無骨な面構えは、フェアウェイやグリーンよりも、中国大陸やモンゴル平原の方が似合いそうだ。日本でも彼にそっくりな像が寺の山門に仁王立ちしている。

 

眼光鋭い無骨な顔は終始ニコリともせず、ひたすらゴルフを見つめている。大きな拍手や声援に対しても黙礼する程度で、何者にも媚びない毅然とした態度は、戦いに命を懸ける武人の姿に映る。
ザ・プレーヤーズチャンピオンシップ最終日、厳しい戦いの末にK.J.チョイ(41)とデビッドトムズ(43)二人の決戦になったが、プレーオフになった瞬間チョイは終始リードを保ってきたトムズに歩み寄り、肩を叩いてトムズを慰め健闘を讃えたがその態度は実に紳士的だった。戦いの中にも常に敵に惻隠の情を示すチョイの姿勢に、武士道精神そのものを感じる。その堂々とした落ち着きと風格は、プレーオフが始る前からトムズを圧倒していた。恐らく多くの中立的な観戦者はチョイの勝利を予感したはずだ。特にゴルフというスポーツゲームが、技量や闘争心だけで勝てない競技であることは誰もが分かっている。この試合にも世界中から数多くの若手ホープが出場したが、結局はアラフォー同士の優勝争いになったし、精神的に充実したK.J.チョイが勝利を収めた。昨年のマスターズで彼に守ってもらった帝王タイガー・ウッズは、初日ハーフで42を叩き棄権した。
精神不安定に陥っている帝王は、既に戦うこともできないほどボロボロになってしまったのだろうか。この試合で帝王は世界ランキング8位に転落したが、代わってK.J.チョイは15位に浮上し、アジアの帝王と呼べる風格を示した。

 

基本の大切さ

「何事も基本が大切」という言葉は頻繁に聞く割に、実際は結構おろそかにされているようだ。あのタイガー・ウッズですら、今は基本に戻ってスイング形成やパッティングドリルをやり直しているというし、石川遼も試合のあと「もう一度基本を徹底的にやります」とよく言っている。世界一や日本一を誇るトッププレーヤーといえども、基本のうえに高等技術が形成されていることを証明しているようだが、その土台となっている基本とは何かとなると、多くの人が沈黙してしまう。実は、ゴルフの基本は1970年代以降に確立したもので、それ以前にゴルフの基本はなかった。「えっ!ウソ」という人は比較的若い世代で、「ほんとだよ」という人は間違いなく中高年世代のはず。

 

1960年代に米国ゴルフ界は学校体育授業にゴルフを導入するためNGFの開発プロジェクトチームの手によって教育プログラムが開発されていた。学校教育に導入するには、どんな生徒にも当てはまる基本を確立しなければならない。
NGFコンサルタントといわれる大学コーチやPGAプロによって編成されたプロジェクトチームは、数年の歳月をかけてNGF教育プログラムを完成させた。いわば講道館の嘉納治五郎が柔道の基本を確立した話に似ている。米国の若手中堅プロは殆んど基本教育プログラムによって育ってきた。米国で育った選手のゴルフは生体物理原則に則ったワンスイング・スクウェアシステムから飛球法則に従った9種弾道を自在に打ち分けるスタイルなのですぐ分かる。

 

9月第三週、札幌で開催されたANAオープンの最終ラウンド池田勇太と韓国K.J.チョイの一騎打はとてもおもしろかった。池田勇太は日本の強者達に育てられた職人芸。K.J.チョイは米国で育った基本ゴルフ。「何としても勝ちたい」という思いはほぼ互角のようだがスタイルの違う両者が一歩も譲らないまま、とうとう18番最終パットまで決着がつかないという手に汗握る真剣勝負となった。K.J.チョイは厳しい米国ツアーを戦ってきた若手国際選手だし、池田勇太は日本が期待する若手ホープだ。本人もギャラリーも池田勇太に優勝させたい一心が勝負を決した感があるが、米国ツアーで鍛えられたマシーンのように正確なショットと冷静なマネジメントゴルフに、池田勇太がじりじりと追い詰められていることは誰の目にも分かった。K.J.チョイが18番、計測したようなセカンドショットをバーディーチャンスにつけて、池田勇太は喉元に刃物を突きつけられたような恐怖感を味わったはずだ。K.J.チョイがバーディパットを外したために、池田勇太は冷静さをとり戻して優勝できたが、優勝パットを決めた瞬間に勇太の目から溢れ出した涙が全てを物語っていた。プレーオフになったら限界まで追い詰められた池田勇太に勝ち目はなかったはずで、イヤというほど基本の恐ろしさを知った彼は、この優勝できっと大きく成長するに違いない。

 

成長著しい韓国プロ

2010年マスターズで韓国勢の活躍は素晴らしかった。アンソニー・キムは米国籍ではあるが、彼も含めると上位10名中3名が韓国人だった。彼らは強いだけでなくプレーマナーの良いことと、常に堂々としていることに感心させられる。彼らは何処で何を学んであのようなプロになったのか興味は尽きないが、K.J.チョイなどは敬虔なクリスチャンで、ボビー・ジョーンズと同じように常に「祈りの人」であることは良く知られている。そのK.J.チョイが米国中から集中砲火をあびた手負いの虎・タイガー・ウッズを四日間にわたり影武者のように支えた姿は、まさに「騎士道精神」を感じさせる美談としてマスターズ史に残るのではないか。

 

偶然か神の哀れみか、傷だらけのタイガーは米国ツアーでも屈指の人格者といわれるK.J.チョイと四日間プレーできてよかった。予選二日間は委員会の配慮があったとしても、決勝ラウンドは成績順に組み合わせが決まるから、よほど実力があるか神の意志が働かない限りありえないことだ。三日目が終ったとき、最終日もK.J.チョイと回ることが決まって、タイガーは本当に嬉しそうな顔で握手を求めていたが、表情は孤立するタイガーの心境を表わしているようにもみえた。PGAツアーは何といっても未だ白人中心社会であるから、アジア・アフリカの混血タイガー・ウッズに対する風当たりは相当強いはずである。同じアジア人のK.J.チョイが、タイガーの風除けのようにして堂々とプレーする姿と毅然とした態度は、まるで風神・雷神のようにも見えて頼もしくも思えた。

 

ミケルソンに対する万雷の拍手とスタンディングオベーションはマスターズという舞台にふさわしいものだった。ウッズに対する冷静な拍手はマスターズの歴史と伝統に支えられる品格を感じさせるものだった。K.J.チョイはサンデーバックナインに入って優勝するかもしれない勢いを見せたときには少し注目されかけたが、多くはウッズの脇役として時々画面に映る程度だった。今回のマスターズでK.J.チョイが果たした役割をどれだけの人が評価したか分からないが、彼に絶大な拍手を贈り心から感謝したのはタイガー・ウッズではなかったかという気がしてならない。もし映画祭のように助演賞が与えられるとすればK.J.チョイが最有力候補になるだろうが、一見スキャンダルに汚されそうになった2010年マスターズも、例年に負けない内容のトーナメントとして幕を閉じた。21世紀はアジアの時代といわれているが、今後アジア太平洋ツアーを支えるのは日本のプロではなく、韓国のプロに違いないという印章を強く受けたのは、私一人ではなかったかもしれない。