ゴルフグローバル時代

メジャートーナメントの出場選手の国籍を見ると、いやがうえにもゴルフの世界にグローバル時代がやってきたことが分かる。英国に発祥したゴルフが欧米カナダ豪州に伝わり、日本韓国アジア諸国に普及していった姿が手に取るように分かる。全米女子オープンでは韓国を中心にアジア勢が大活躍し、全英オープンでは英国勢と米国勢が激突する構図の中で南アフリカとオーストラリアが油揚げをさらう結果となった。劣勢だった英国勢は最近勢いを盛り返して、世界ランキング上位三位まで占めている。英国伝統精神ゴルフが米国科学技術ゴルフを圧倒しているように見えるが、どうやら英国も米国科学技術ゴルフを積極的に導入した結果のようだ。そうなると伝統精神に科学技術がハイブリッドされてより進化したことになる。どんなに高度な技術を持っていても、精神基盤が脆弱だと勝負の世界では通用しないことを、米国勢トップのタイガー・ウッズ自身が証明してみせた。そのタイガー・ウッズは今回優勝争いに絡んできたが、プレーの態度を見ている限り精神的な成長と余裕が伺える。間もなく円熟した実力者としてグローバル時代のリーダーに返り咲くに違いない。

 

ご存知のようにタイガー・ウッズはアジア・アフリカの混血というグローバル時代の象徴的存在だが、WASPが支配する欧米ゴルフ界の中で実に多くの偏見や差別があって、世界の頂点に上り詰めるまで想像を絶する数々の苦難があったと思われる。偏見と差別、挫折と中傷を克服した人間タイガー・ウッズが米国の帝王からグローバル時代の象徴的存在として、世界中のゴルフファンに愛されるならば、ゴルフそのものがグローバル化したことを意味するだろう。ゴルフがどんなにグローバル化しても、英国に発祥し米国に渡って発展した歴史的事実や、英国伝統精神に米国科学技術が融合して完成された高度な文化性は、永遠に世界中の人々に受け継がれていくに違いない。ゴルフの悠久文化性が理解されたとき、本当の意味でゴルフがオリンピックの正式種目になるときと思うが、へたするとオリンピックそのものの悠久文化性が先に問われるかもしれない。金だ銀だ、何個だ何十個だと騒いでいるうちに、世界の安全や秩序が先に崩壊しオリンピックどころではなくなる恐れがある。金メダルの国別獲得数が国家予算の投入金額に比例するようでは、軍事予算と国力や戦力の関係と同じで我ら庶民がお祭り騒ぎをする問題ではない。

 

プロトーナメントの世界がグローバル化しているのは素晴らしいことだが、賞金予算がどんどん肥大化しているのが気掛かりだ。金メダルの奪い合いと賞金の奪い合いのどこが違うと問われたら返す言葉がない。ゴルフの悠久文化性を語っているうちに、現実はゴルフの賭博性が支配していたとすればパロディーどころか、堕落と崩壊の道を歩んだ古代オリンピックと同じ悲劇を演ずることになるかもしれないからだ。莫大な金を手にして堕落と崩壊の道を歩んだものは歴史上ゴマンといるし、個人に限らず国民国家の単位でも枚挙に暇がない。ひょっとすると誰もがタイガー・ウッズの歩んだ道を笑うどころか見習わなければならない時が来るかもしれない。

 

タイガー・ウッズの復活

もう駄目かと思っていたタイガー・ウッズが復活優勝した。2010年、相撲界の帝王朝青龍とゴルフ界の帝王タイガー・ウッズが、ともに帝王の品格を問われて失脚したことはまだ記憶に新しい。朝青龍は日本の伝統文化を破ったモンゴル人として、タイガー・ウッズは白人プロテスタント文化を破ったアジアアフリカ人として、ともに歴史を変えた風雲児でもあった。歴史を変えられた側から相当の反感があったことも事実だ。記録や伝統は守るものでもあり破るものでもあるとすれば、二人の偉業は歴史的な出来事として評価されても良いはずだが、二人とも品格を問われて失脚したのは実にまずかった。

 

そもそも歴史を変えるような大人物に品格を備えた人など聞いたことがない。ジンギスカン・ナポレオン・平清盛・織田信長みんな品格を問われている。なまじ品格など備わっていると、歴史を変える風雲児にはなれないのかもしれない。しかし勘違いしてはいけない。風雲児になれないからといって必ずしも品格を備えている訳ではない。私たちは風雲児になる気もなければ、なれるはずもないことも解っているから、せめて風雲児に負けない品格でも備えようではないか。品格あるゴルファーなら心がけ次第で誰でもなれる。

 

タイガー・ウッズが復活してもしなくてもゴルフの歴史は変わっていくだろう。英国に発祥し、米国はじめWASPホワイト・アングロサクソン・プロテスタントの文化として発達したゴルフが、21世紀にはAAAアジア・アラブ・アフリカに渡って大発展することは目に見えている。ゴルフの世界にもグローバル化の波が押し寄せてきたといえるだろう。21世紀ワールドゴルファーの共通語が世界統一のエチケットルールだとすれば、品格を備えるのは難しいことではない。エチケットルールは「知っているか知らないか。実行しているかしてないか」の違いだけで、人種国籍どころかシニアゴルファーでもジュニアゴルファーの前に土下座しなければならない世界でもあるのだ。

 

タイガー・ウッズの復活は品格の復活であって欲しい。世界の青少年の、とりわけアジアアフリカの青少年の夢を壊した失望の存在に終らず、挫折から復活した希望の存在になるならば、ゴルフの生きた教材として高く評価されるに違いない。そもそもキリスト教は贖罪と復活の奇蹟を信じる信仰として存在するのだから、タイガー・ウッズが前非を贖罪し品格ともども復活するならば、青少年どころか世界の大人が揃って彼を尊敬し、ゴルフの持つ素晴らしいパフォーマンスを信頼することになるのは間違いない。