ソチオリンピック終わる

オリンピックが終わってほっとした人、やれやれと思った人、関係ない人さまざまだが、マスコミもネットも浅田真央の情報で持ちきりだ。真央ちゃんが素晴しい感動を与えてくれたことには何の異議もないのだが、その影に無数の感動や絶望があったことを考えると、何か割り切れないものが残る。「一将功なり万骨枯る」とは今も昔も同じことで時代や社会が変わっても人間の本質が変わる訳ではない。昨年の日本プロ野球リーグ戦は終わってみればマー君のリーグだったし、日本プロゴルフトーナメントは松山英樹、世界トーナメントはタイガーウッズのトーナメントだった。シーズンが終わると他のプレーヤーはみんな影が薄くなってしまうが、マスコミや時代スポットというのは少数の人を照らすもので、多くの人を照らすものではないらしい。

ゴルフがオリンピック種目に採用されたことは嬉しい限りだが、オリンピック報道を見ていると金だ銀だ銅だ、日本はメダルがいくつだ、世界で何番目だと結果ばかりに目が向いて、肝心の趣旨目的は忘れてしまう。競技がオリンピック種目になるかどうか業界団体や関連企業組織にとって重大関心事だが、一般プレーヤーとって大きな関心事ではない。オリンピック種目の中でも観たこともやったこともない種目に関しては、世界のトッププレーヤーが技を競い合うさまを観るのは面白い。スキージャンプやハーフパイプ、フィギュアスケートやモーグルなどは未知の世界を観ているようで興奮する。2016年リオオリンピックからゴルフが正式種目に採用される。もちろん次の東京オリンピックの正式種目にもなり会場も霞ヶ関カンツリークラブに決定している。私も業界人の一人だからオリンピック種目に採用されたり、東京開催が決定したときは大喜びしたが、一人のゴルファーに戻ったとき「ウン!それがどうした」という妙な気分になったのには驚いた。ゴルファーの私にとって、それがオリンピック種目であろうがなかろうが、私にとって大切な生涯スポーツであることになんら変わりがないからだ。

今日も私は日課にしている一日20分のストレッチ・パット練習・スイングトレーニングをしたが、それは決してオリンピックに刺激されたからではない。自ら掲げたエージシュート達成のためである。エージシュートを達成するには、まずは何が何でも東京オリンピックまでゴルフができる状態で生きていなければならないし、2020年に私は77歳の米寿を迎える。そのとき77以下で回れるかという私にとってはまさに余命との真剣勝負なのだ。生きているか否か、健康か否か、気力や技量が伴っているか否か、経済的・時間的余裕があるか否か、目標達成率はどんどん下がっていく。私の東京オリンピックはもう始まっている。「全国3000万のご同輩、私に付合って頂けませんか。すごいゴルフ振興策になるんですが・・・」ともう業界人の私に戻っている。イヤな奴。

 

イチローの偉業

イチローが4000本安打を放ち、ピート・ローズ、タイ・カップに続く歴代3位の記録を達成した。インターネットや新聞にいろいろな情報が載ったが、本人が話した「4000本の裏に8000回以上の悔しさがあるんです」という言葉にズシリと重いものを感じた。イチローの平均打率は3割3分だから、確かに8000打席以上は凡打に終わったことになる。イチローはその凡打に終わった一打一打が本当に悔しかったのだろう。ピッチャーに対して4000勝8000敗だからバッターとしては大幅に負け越した思いが強いのかもしれない。勝負師は勝利より敗北から多くを学んでいるといわれるが、その学び方も半端じゃないのだろう。
イチローの経歴を見るとプロになって一年目は安打24本、二年目は12本と今となっては想像も付かない貧打振りだが、普通なら三年目に姿を消していてもおかしくない成績だ。ところが三年目に210本放って日本新記録を達成しているから、並の選手ではないことを実績で証明している。

 

私たち凡ゴルファーはイチローから爪の垢ほどでも学ぶことはないだろうか。イチローほどのプレーヤーですらナイスショットの確立が33%に過ぎないのに、私たち凡ゴルファーが毎回ベストショットを放とうとして力み、凡打に終わったといってクラブを叩きつけて悔しがっているのは名プレーヤーの証?。いやいやそうではありません。イチローは1試合に4,5打席しかないが、凡ゴルファーには90打席もあるのだ。そのくせイチローのような内野安打やバントヒット、ポテンヒットになろうものなら跳びあがって悔しがる。悔しがることではイチローに負けていないようだが何が違うのだろうか。そう、悔しがっているだけで反省がない。そこが根本的に違うようだ。何を反省しているのか教えて欲しいが、教えてもらったとしても実行できなければ同じことか。

 

私たち凡ゴルファーは試合が終わって反省する前に、全打席全ショットを思い出さない、イヤ思い出せない。さらに悪いことにナイスショットは実力と思いこみ、ミスショットは不幸か不可抗力と思いこむ。だから反省がない。反省がないから帰ってきて練習をしない。次の試合に向けてトレーニングをつまないから同じ凡打を繰り返す。そんなことを10年、20年と繰り返すうちに肉体的な衰えを感じ「何かいいクラブないかな」と考え試打会を渡り歩くようになる。それでも日本のゴルフ産業は私たち「懲りない凡ゴルファー」に支えられて辛うじて命脈を保っているのが現状だ。イチローが加齢とどう対決していくのか見ものだが、真似はできなくとも姿勢だけでも見習う必要がある。それは自分の加齢対策やゴルフ産業復活のためだけではなく、日本の将来にとって重要な課題だからである。

 

65歳以上の人口が3000万人を超えたそうで、そのうち2000万人以上が健康老人で老後の生甲斐を求めているという。このうち何割かがイチローの姿勢だけでも見習って、練習やトレーニングに励み自分の目標に向かって情熱を燃やすようになったら、やがて病院や養老院は閑散とし練習場やコースは満員になるだろう。病院や養老院がつぶれて練習場が建設され、休耕農家や生産緑地が消滅してコースが建設される時代が来たらどうしよう。心配するに及ばない。それこそ本当の高齢福祉社会が実現するのだから。そこにはきっとエージシュートをめざして日々トレーニングを重ねるイチローの姿があるに違いない。