ゴルフ再生への道 1-06 判断基準のない裁判所

何万、何十万にも及ぶ新設ゴルフ場の会員が全国各地で「預託金返還訴訟」を起こし始めたが、今となっては貧者と貧者の泥仕合であり不毛の争いであった。ゴルフ場は本来ゴルフを愛する同志が結束し、資金を出し合って発起人代表に夢を託して建設されるものである。同志から夢を託された発起人代表は預かった建設資金に対して「預り証」を発行し、資金管理を誠実に行うが「預り証」を発行しておかないと税務上「所得」や「贈与」とみなされるからだ。同時にゴルフ場建設には大変な時間が掛かるため「10年据置き無利息」の条件を付けなければ途中で気が変わったから金を返してくれと言われたり、利息を付けてくれと言われたらゴルフ場建設は挫折してしまう。だから本質的には預託金ではなく出資金であり、不正や横領がない限り返還請求する根拠に乏しく、建設を断念したときはじめて残余金の返還を求めるべき性格のものである。

 

例えば工務店に家の建設を依頼したとき、最初に建設費の1/3を着手金として支払い、工事半ばで1/3を支払い、完成引渡時に残金を支払って建物所有権が移転する。ゴルフ場建設の場合なら最初の出資者である発起人会が出資組合なり社団なり結成して代表者を選任し、資金管理を行うと同時に用地買収作業や工事進捗状況の監督をするべきであった。本来ならパンフレットに名を連ねた政財界の大物や有名人は発起人会のメンバーで、開発会社を監督する立場にあったはずだが、実際は無償で縁故会員になり更に数枚の会員権をもらって人寄せパンダを演じていた。ゴルフ場が完成すれば物件の所有権は出資組合なり社団としてのクラブに引き渡されるべきだが、破綻ゴルフ場にそのようなケースは見当たらない。発起人代表はそのままクラブ理事長となり発起人会はクラブ理事会となったから、会員の権利を護る機関はどこにも存在しない組織ができたことになる。ということは最初から会員の権利地位は曖昧な立場に置かれていて、訴訟になった段階で裁判所に判断を求めても前例主義の日本の裁判所には判例も判断基準もなかったことは言うまでもない。

 

預託会員権制度そのものが何の法的根拠もないうえ業界固有の制度として定着していたために、商法にも税法にも証券取引法にも抵触しない、いわば法の盲点として存在していた。バブルが崩壊して制度破綻するまでは何の法にも触れずに莫大な資金が集まる、税金は掛からない、使途は問われない、ゴルフを楽しみながら金儲けができるとなれば利用しないほうが間抜けだ。まさに究極の錬金術として事業家も政治家もタレントも便乗したと思われる。70年代以降の日本のゴルフ場建設は実に動機が不純だったために完成後のビジネスにおいても誠実さや真剣みに欠け、欧米豪州の正統ゴルフとは似て非なる日本固有のゴルフ体質が育ってしまった。根底に文化も教養も備わっていなかったことが大きな原因だったと考えられる。文化も教養もない処に突如として経済的繁栄が訪れるとどうなるか、日本のゴルフは深刻な課題を背負っていたのである。

 

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