ゴルフ再生への道 1-03 不思議なゴルフ場建設

日本でゴルフ場を建設するのは実に大変なことだ。37万平方キロの狭く起伏の激しい島国の日本は、僅か3割の丘陵地に何千万人もの人がへばりつくように田畑を耕して暮らしきたのだから、日本の歴史そのものが領地の奪い合いの歴史でもあった。細かく分かれた田畑は先祖伝来の財産であり、領有権や耕作権をめぐって多くの血と汗が染み込んでいる。ゴルフ場建設に必要な1平方キロを確保するには、何十人何百人の地権者と気の遠くなるような交渉をしなければならない。うず高く積み上げられた土地登記簿謄本の一冊一冊は細かく分筆されているうえ、所有権と借地権、耕作権や入会権が入り組んでいたり、抵当権が設定されていたり、公図と実測図が合わなかったりと煩雑を極める。中にはどうしても地主が分からない土地まである。

 

大方の地権者から譲渡や借地の了解を取り付けたところで、今度は役所との気の遠くなる交渉が始まる。国も地方公共団体もそれぞれ独立した縦割組織になっているから案件ごとに各省庁の部署をまわり、いろいろ注文をつけられ提出書類がハンコだらけになっても簡単には許認可が下りない。さらに利害関係者の同意を取り付けるには地元有力者、政治家、役人、農協関係者、自然保護団体、市民活動家、暴力団等々モグラ叩きのように交渉相手が現れる。時間は掛かるものの最終的には殆ど金銭解決するから問題ないが、厄介なのは交渉でも金銭でも解決しないゴルフ場建設そのものに反対する自然保護団体や市民活動家だ。しかし何といって最大の問題は資金調達である。駅伝マラソンのように多くのランナーが資金タスキをつないでゴールまでこぎつけているが、途中で資金が続かず破産・自殺・行方不明となって姿を消す人もいる。

 

ところが驚いたことに80年代中頃から突如として銀行がゴルフ場に積極融資を始めたのである。不動産担保があれば青天井で融資すると言う。今までお百度参りしても簡単に融資しなかった銀行が先方から訊ねてきてゴルフ場開発案件を紹介してくれと言い出したのだ。私が銀行や開発者に米国のゴルフ場建設に関する標準予算や基本概念を話すと化石動物を見るような目で「そんなスケールの小さい計画には融資できません」と相手にされなくなった。そのとき日本に何が起きているのか皆目見当がつかなかったが、日銀が市中銀行を脅迫するようにして仕掛けたバブル経済の序章だったとは崩壊後に知る「後の祭り話」であった。不動産神話を信じ、銀行がいくらでも融資するのを良いことに一件のゴルフ場に何十億、何百億の投資をしてアラビヤ王の別荘まがいのギンギラギンコースを次々と建設したのである。

 

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