ワンスイングの確立

性格とスイングはなかなか変わらないといわれる。「三つ子の魂、百まで」という言葉があるとおり、小学校の同窓会に出席すると確かに性格は変わらないものだなあと思うが、本人は大概の場合「自分は変わった」と主張する。他人の目にはどこが変わったかサッパリ分からないが、本人は「すごく変わった」と主張するところを見ると、意識が大きく変わったのだろう。他人の観察と本人の意識には相当のギャップがあるということらしい。他人を観察するときは言動から判断するが、自分を観察するときは意識から判断する。世の中には知行一致している人より不一致の人が圧倒的に多いものだが、そんな人たちが国会に何百人も集まって国の方針をひとつにまとめようというのだから、国民の目からは「何も変わらない」と映っても仕方がないのかもしれない。

 

「オレ、スイング大改造したから見てよ」と血相変えて飛んで来る人がいる。いろいろ解説しながら見せてくれるが、どこが変わったかサッパリ分からない。
「どう変えたの?」と聞き直すと「コレが前のスイング。コレが改造後のスイング」といって興奮しながらデモンストレーションしてくれるが、やはり同じスイングを反復しているとしか思えない。「調子が良くなったんなら、そのスイングでやったら?」というとVサインを出して勇んで帰るが、暫らく経って「どうした?」と訊ねると「やはり前のスイングの方が良いみたいだから元に戻した」といって相変わらず同じスイングを反復している。彼は一体、どこを変え何を戻したと言うんだろう。やはり性格とスイングは変わらないものか。

 

では正確な反復再現性を持ったワンスイングはどのようにして確立するのだろうか。スイングは外観から形成したり矯正しようとしても難しいので、内面の感覚や意識を形成したり、矯正しないといけないということだ。米国では指導法の研究が進んで、外観指導ではなく内面指導が中心になった。ドリルを反復することによって、意識せずに原理原則に叶ったスイングが形成される方法が行われるようになった。また長年かけて「ヘタを固めたスイング」もドリルを反復することによって自然に流麗なスイングに変わる。スイングも性格と同じように自分で意識して変えようとしても容易に変わるものではないし、まして他人に批判され指摘されると益々もって意固地になってしまうようだ。理屈も意識も除外して基本ドリルを反復することによって、合理的なワンスイングを形成し悪い癖を矯正する方法を確立したことは、ゴルフ指導界のイノベーションであると同時に、私たちゴルファーにとっては大きな福音であった。

 

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