正統ゴルフへの道 2

サンケイ学園と提携して女性ゴルフ教室を開催することになったが、最初から定員14名が一杯になった。問題は10回のカリキュラム編成と使用テキスト、二人の担当プロの指導法を統一することだ。早速二人のプロにこの点を質したところ、二人揃ってニヤニヤしながら「若い支配人はいいね」と冷やかされた。ゴルフに基本はないから一人一人みな指導が違うし、カリキュラムやテキストなんかあるはずがないという。この一言で全身の闘争心に火が着いた。そんなはずはない。芝ゴルフ教室を訪ねた。赤坂・瀬田モダンゴルフ教室を訪ねた。日本プロゴルフ協会名誉会長・浅見録蔵師匠にも尋ねた。答えはみな同じ、オタクの二人のプロの言うことが正しいと。ウーム・・・。ここから私の果てしないゴルフ探求の旅が始まることになった。1971年29歳のときである。

 

当時米国ゴルフ界はアーノルド・パーマー、ジャック・ニクラウス、ゲーリー・プレーヤー三強の全盛期であり、日本ゴルフ界は杉原輝夫・青木功・尾崎将司の三強時代を迎えていた。勝負強いこと、人気が高いことではいずれも甲乙つけがたいが、この六人のスイングの何処を真似すれば良いのか。まして、これからゴルフを始める女性14名は何を参考にしたらいいのか。二人のプロの経験に全てを任せる以外に私には手も足も出せない。二人の教え方は違うから14名を二班に分けるか、別々のクラスを担当させるしかない。確かにウチの二人のプロのスイングも100メートル先から一見して見分けられるほど違う。この二人が同じ人たちを交互に教えたら習う方が混乱するに決まっている。私は納得いかないまま彼らの指導に頼るしかなかったから、第一回生は先輩プロが主任コーチとなり、後輩プロが助手を務めることになった。そうすれば第二回生は後輩プロが担当しても第一回生と大きな違いは出ないかもしれない。教室開校に当たって挨拶したものの「コースに出られるまで頑張ってください」という以外に語る言葉もなく、新米支配人にできることは精一杯お愛想を振りまくことだけだった。

 

その頃米国では学校体育ゴルフが着々と浸透しつつあり、全米統一テキストやテキストに沿った指導マニュアルが次々と完成していた。中学高校大学の体育教師やクラブ監督が、多くの生徒たちを統一テキストを使って指導していたのである。悪戦苦闘する私は、地球の裏側で合理的な近代ゴルフ指導が始まっていることなど全く知らず、あいも変わらずゴルフレッスンはこれで良いものか尋ね歩いていた。誰もがこれで良いとは思わないが、プロにしてみれば自分の経験と勘で教える以外に方法がなかったのである。なぜならばプロ自身が誰に習うこともなく我流でゴルフを覚え、ひたすら球を打ってプロになったのだから仕方がない。私が米国の教育プログラムの存在を知ったのが1975年だから、正統ゴルフに出会うのに、それから更に多くの歳月を要したことは当然と言える。