ゴルフ再生への道 2-02 教育不毛地に栄えたゴルフ産業

1960年代以降、経済成長の余裕から生まれたスポーツレジャー産業にスキー・ボーリング・ゴルフがある。戦後盛んになった映画・パチンコ・マージャンと一味違うカッコよさを持ったスポーツレジャーは、たちまち国民的人気を博して成長産業にのし上がった。その時代に学生時代を過ごした私も、ご多分に漏れず勉強を後回しにして全てのレジャーを楽しんだ。国民的人気を博したこれらのレジャー産業が、今ことごとく斜陽化し衰退していくには何か理由があるに違いない。

 

私が本格的にゴルフにかかわりを持ち始めたのは1970年代だが、既に日本ではゴルフブームが始まっていた。都心には芝ゴルフ、日本テレビ、TBS、環七ゴルフなどの大型練習場があり、都内近郊にも続々と中型練習場が建設されていたが建設目的に共通点があった。当時は不動産価格がうなぎ登りに上がり始め、大企業も個人地主も本業より不動産の値上り益に魅力を感じていたために不動産投機を兼ねた現金商売としてゴルフ練習場が注目されていた。空き地に練習場を建てればキャピタルゲインだけで含み資産が加速度的に膨らむうえ、固定資産税と金利を払って更に相当の現金が残る。お金が必要になれば鉄塔を撤去して簡単に換金できる実に合理的な投資事業だったのである。

 

練習場オーナーや経営者は全員口を揃えて「土地があったから始めた」といい「素人でもできるから始めた」といっていた。言葉どおりゴルフに対する理想も理念を持たず余計なことをしないのが最も合理的で収益性の高い経営方法だったのである。休日は玄関を開ければ1時間で満席になり、平日は夕方6時過ぎから順番待ちの客が列を成した。完全な売り手市場だからサービスだの経営戦略だの面倒なことは考えず、ひたすら打席回転率とボール回収効率を追求することが経営者の務めだった。自動ティーアップ機は打席回転率を上げる手段だし、コンベアーやエアー送球機,ボール洗浄機やボール販売機はボール回収効率を上げる手段で、全て経営者に対するサービスである。

 

練習場を経営したり就職するために学校に通った人は一人もいない。何故ならば勉強する必要もなければ、勉強する学校もなかったからである。未経験者でも先見の明と土地があれば、営業努力などしなくとも見よう見まねで開店当日からザクザク現金収入が得られる「絶妙商売」だった。ボール代は1球10円前後だから正月の神社よろしく何十個・何百個の10円球を熱心に投げに来てくれるゴルフ信者に支えられた絶妙商売である。閉店後にボールを拾いながら10円玉のお賽銭を回収するような有り難い気分を味わったものだ。ゴールドラッシュならぬゴルフラッシュの中で始まった日本のゴルフ産業は教育不毛というより教育不要産業として繁栄したのだった。