自己責任
小中学生の頃は何かに付け「人のせいにするな」、高校大学の頃は「怪我と弁当自分持ち」と言われ続けてきた。当時は余り意味が分からず当たり前に受け止めていたが、今になって振り返ると常に「自己責任」を問われ続けていたのかなと思う。小学校低学年の頃は小田急線上り下りとも30分に一本しか多摩川鉄橋を通らなかった。登り電車が通過した後、悪ガキ3人で鉄橋を渡り始めたところ中間地点に来て、レールからカタンコトンという車輪の音が聞こえ始めた。振り返っても電車の姿は見えないが、間違いなく電車はこちらに向かってくる。想定外の出来事に一刻も早く鉄橋を渡りきる以外に手はないと、脂汗を流しながら枕木を一本一本踏みしめるが、歩くには丁度いい歩幅が急ぐといささか狭く足を踏み外しそうになる。それまで何とも思わなかった眼下の多摩川の流れが急に恐ろしく思いはじめた。とうとう渡り切らないうちに追いつかれてしまったのだが、想定外の電車は妙な格好をした巡回修理車だった。脂汗を流して鉄橋にしがみついている悪ガキに向かって運転手は「死んだらどうする!」と一言叱りつけて行ってしまったが、当時の大人は全員が戦災を生き延びた人だから、子供に対しても自分の命は自己責任で守れと叱ったのだろう。
OBを打つと「フェアウェイが狭すぎるよ」、バンカーからホームランすると「砂が入ってないよ」、3パットすると「グリーンが悪いなあ」、スコアが悪いと「トリッキーなコースだなあ」全てコースのせいにしたいのが人情だ。ゴルフでは失敗の言い訳がゴマンとある。「打とうとしたら人が動いた」「一緒に回った人のマナーが悪くて」「キャディが新米で」「後ろの組に打ち込まれて」「前の組が遅くて」などは、人のせいにした言い訳。「新しいクラブが合わなくて」「Sではシャフトが硬すぎて」「いつも使うボールじゃないので」「今日のグリーンは自分に遅すぎて」「ディボットだらけで」などは、道具やコースのせいにした言い訳。「最近練習していないから」「仕事が忙しくて」「昨晩遅かったので」「少々バテ気味で」「歳のせいかアチコチ痛くて」などは、自分自身の言い訳。そんな言い訳だれも聞いちゃいないし自己責任にもならない。
言い訳を言うのはまだ良いほうで「ボールを頻繁に動かす」「ドロップしないで放り投げる」「ピックアップしたボールを元の位置に戻さない」「打順を守らない」「OKパットはノーカウント」などは、違反の意識すらないから言い訳もない。最もタチの悪いのは承知のうえで黙々と違反をする人だ。誰も見ていないと「ライを改善する」「ボールを動かす」「替え球を打つ」「ハザードにソールする」「ストロークをゴマかす」などは、自己責任とはいえ人間性を疑われ信用すら失う。
子供なら「一生疑われたらどうする!」と厳しく叱ってくれる大人がいるだろうが、大人になると誰も叱ってくれない。全てを「自己責任」として一身に背負わなければならないとは、実に重いペナルティーだ。