ゴルフ再生への道 2-05 ゴルフインストラクターの養成
ゴルフ場の合理化再編成が進んだ米国では各地に10ドル前後でプレーできるパブリックコースがいくらでもあったし、学校自体がコースを所有することも珍しくなかった。コースは公園やグランドの延長のようなもので維持費もさほど掛かるものではないから、授業やクラブ活動で使わない時間帯は一般有料公開すれば維持費も捻出できる。米国ではコースの問題よりもゴルフを正しく指導できる人材育成の方が課題となって1960年代末からゴルフインストラクターの養成が始まった。既に60年代から学校教育プログラムの開発を進めていたNGFは高校大学の教師を対象にサマーキャンプセミナーを始めたのである。
日本では1970年代に入って本格的なゴルフブームが起こり、多くの若者がプロゴルファーを目指して修行を始めていた。当時はゴルフ場も練習場も今よりも料金が高かったために、普通の若者がゴルフの練習をするにはゴルフ場や練習場のアルバイトや研修生になることが必要だった。中学高校を卒業して週刊誌を読みながら我流で練習し10年修行しても、プロテストに合格するものは1割程度に過ぎない。家庭環境に恵まれた若者は私立大学のゴルフ部に籍を置いて悠々自適のゴルフライフを楽しんでいたが、私が8万円程度の月給で支配人をしていた時代に日大ゴルフ部の学生は月平均70万円の仕送りを受けていた。
米国では既にレッスンプロという職業がなくなり、課外授業で学生を指導する高校・大学教師のゴルフインストラクターと、プロモーションとして社会人を指導するゴルフプロフェッショナルに二極化していた。つまりゴルフインストラクターの本業は学校教師であり、ゴルフプロフェショナルの本業はゴルフ場経営である。今ではデーブ・ペルツやブッチ・ハーモン、デビッド・レッドベターやハンク・ヘイニーのようなトッププレーヤーを指導するプロコーチが脚光を浴びているが、極めて少数の特殊な専門職とみられている。
日本のインストラクター養成は1979年から始まった。6月にサンディエゴで開催されたNGFインストラクターセミナーに日本から20名が参加し、10月に東京新宿で開催されたセミナーに日本各地から200名が参加して指導法を学んだ。このとき日本にはゴルフインストラクターという言葉もなく全てレッスンプロという言葉で表現されていたが、特に資格制度もなかった。参加者は自称レッスンプロはじめ大学教師、ゴルフ場支配人、練習場経営者など多彩であったが、講習内容は全てが目からウロコの世界であった。我流レッスンが巷に横行していただけに期待も大きかったが、80年代に入るや段々と霞ヶ関の利権に支配された日本固有の資格認定制度と対立することになるのである。