グローバル時代の民族意識
私は日本が総力を挙げ「鬼畜米英」を唱えて欧米先進諸国と戦争していた昭和17年に生まれ、母や姉の膝で大和魂を吹き込まれて育った。中学生の頃は軍国少年で戦闘機乗りに憧れていた。学生時代は学園内に反米思想が渦巻き「ベトナム戦争反対」「日米安保条約反対」「ヤンキーゴーホーム」のシュプレヒコールが飛び交う中で過ごした。ベトナム戦争にはベトコン側に志願しようと真剣に考えたこともあった。ところがその私は米国や英国を鬼畜と思ったことなど一度もないばかりか、子供の頃から憧れの国であり米国留学は夢でもあった。今ではゴルフの伝統思想国として尊敬し崇拝もしている。米国ゴルフ界の人とは公私ともども刎頚の交わりをしているし、口約束だけでビジネスができるほど強い絆で結ばれている。
2年半前に北京を訪れたとき、多くの若者から震災見舞いを受け「憧れの日本に行きたいが放射能は大丈夫か」と真顔で質問された。彼らの何処に反日思想があるのか訝しく思って訊ねると「教科書にそんなこと書いてあったかな」と笑い「震災を知って中国が一番に救援物資を送ったんだよ」と満足げに語った。マスコミ報道とは何なのか、そこで創られる世論とは何なのか、権力や為政者の思惑と庶民感情にこれほど温度差があるものかと思ったが、マスコミ報道に踊らされて鬼畜米英を叫ぶのも反日運動に走るのも、その行動原理は同じでも現実の庶民感情とは大分異なるようだ。
ところがインターネットの世界を覗くとマスコミと大分違う情報が流れていて、マスコミ情報とネット情報はこんなに違うのかと驚くが、テレビ新聞しか見ない人とネットしか見ない人とは、随分違う意見や考えを持っているだろうなと思う。では両方見ている人はどうなるんだろう。恐らく頭がおかしくなるか無関心にならざるを得ないだろうと思う。選挙のたびに40%の無関心層が話題になるが、案外この無関心層こそ的確な情報の持ち主かと思うと空恐ろしい気がする。情報社会とか情報革命とかいうが、エジプトやタイで起きている反政府運動が、もしマスコミ情報派とネット情報派の対立だとすると、同じことが日本でも起こりうることになる。
スポーツの世界では平成生まれの若者が日の丸付けてどんどん世界に飛び出して行く。反対に世界の若者が日本の先進技術や知識を求めて国籍人種を超えてどんどん押し寄せてくる。若者はネット情報派だからネットで世界情勢を学びグローバルスタンダードで判断行動する。今やいたる処で世界中の人々が世界各地の民族文化や歴史を楽しんでいるが、そこに国家だの国籍だの人種だのという既成概念を持ち込むのはナンセンスだ。そうすると民族意識や民族対立って何なんだ。オリンピックが国別対抗戦なのは何故なのだ。ウーム・・・。